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硯を投げた後、一君は墨で真っ黒になった手で、兄さんの本を掴んでいた。今まさに、それを投げようとしている時に勝姉さんが現われたのだ。
蹲る広明兄さんと、一君。当然、姉さんは一君が悪いと決めつけたのだった。
「父上に言いますからね」
血を流す広明兄さんを立ち上がらせながら、姉さんは冷たく宣言し、わたしたちを残して部屋から出て行った。
ばしんと襖が閉ざされる。廊下をばたばたと走る音が聞こえ、勝姉さんが山口のおじさまに言いつけている甲高い声も伝わった。
わたしは半べそをかきながら一君に歩み寄った。
だが一君は無言だった。懐から手ぬぐいを引っ張り出して、墨で汚れた手をごしごしと拭いている。
「ごめんね」
と、わたしが言うと、一君はぎろりと視線を動かした。その目が怖くて、今まで彼にものを言うことができなかった。目があった瞬間にわたしは後ずさり、惨めさと恐怖と戸惑いがまぜこぜになった涙をこぼし始めた。
障子の向こう側は西日であり、白い紙は鮮やかな橙に染まる。
ところどころ破れたままになっている障子戸から西日が差し込み、部屋の中に赤い光の帯が流れている。
踏み机や壁にかけられた竹刀、そして痩せた一君の体は、長くていびつな影になり、汚れた畳と土壁に伸びていた。
がくがくする足を踏みしめて、わたしは一君の視線を受け止めた。
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