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下唇を強く、強く噛み締める。
啓さんを見つめ返せず、視線を逸らす。
「竹田さん」
視線を啓さんに戻すと、彼は優羽ちゃんの母親を見つめている。
何を言う気だろう。
「何でしょう」
優羽ちゃんの母親の声は少し震えている。
「6学年の生徒は皆いい子です。優秀で頑張り屋の子ばかりですよ」
「……え、あぁ」
「先ほどもお話しましたが、皆で頑張ろうという良い空気が生徒たちの間で流れております」
それは、保護者会で彼が話をしていたこと。
「きっと、保護者の方々が温かくお子さまを見守ってくださるからでしょう」
優羽ちゃんの母親が下唇を小さく噛み締め、俯いた。
啓さんは教壇におり、別の保護者と話をしていたが、きっと優羽ちゃんの母親の声が聞こえていたに違いない。
「皆、同じ目標を持ち頑張っております。
子供たちの心の環境は、保護者の方々の包容力が大きく影響いたしますので、これからも温かくお子さまを見守ってください」
「えぇ……」
「よろしくお願いいたします」
優羽ちゃんの母親が早口で答えるのを聞くと、啓さんは「面談、行いましょうか」と、私を誘った。
「よろしくお願いします……」
彼は助けてくれたのだろう。
中立的な立場でいなければならない彼の精一杯の攻撃だと思った。
教室内の空気は確実に優羽ちゃんの母親が悪いものに変わる。
私は彼女に視線を向けることなく、啓さんに続いた。
階段は誰もいない。
「ありがとう」
「いえ」
教師口調の彼は普段のように優しい声だ。
彼の背中に抱きつきたくてたまらなくなった。
それを我慢し、浮かんだ涙を密かに拭った。
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