013.花を拾った夜(3)

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「……あんたの女か?」  毎度のように、飛び込みの急患をつまらなそうに処置した後、李先生は待合室で缶コーヒーを傾けた。  ()舜徳(しゅんどく)――在日三世にして、親の代から診療所を営む外科医だ。金次第で、銃痕だろうと刀傷だろうと理由の如何を問わず、秘密厳守で処置してくれる。有難い存在である。 「いや、埠頭で拾ったんです」 「埠頭で? 物好きだな」  丸眼鏡を掛けた横顔に皮肉の色が浮かぶ。昼間の『一般の』患者達の間では、彼は温厚で柔和な笑顔が魅力らしいが、俺には表情らしい顔付きの変化なぞ、ついぞ見せた試しがない。あくまでビジネスとして割り切った関係で、愛想などする必要はない――彼のあからさまな態度は、反って気持ち良い程だ。 「全くです」  自嘲気味に苦笑いしながら、李先生に手渡された缶コーヒーに口をつける。 「物好きと言えば、あの女の飼い主も相当な好き者(・・・)だ」  彼女から何か聞いたのか、意味深な物言いに、チラリと視線を向けた。 「首元と両手首、両足首に幾重にも内出血の痕がある。分かるか? 首輪と手かせ足かせを嵌められたせいだ。それも一度や二度じゃない。身体中に走る、みみず腫は鞭の痕だろう。太股の内側に、火傷の痕もあった」  俺の眼差しを完全に受け流したまま、彼は非常灯で薄暗い待合室を眺めて答えた。 「まるで拷問ですな」  彼の言葉が示すのは、彼女がサディスティックな性的嗜好の捌け口にされていたのでは、という疑惑だ。 「望まないプレイなら、同じことだろう」  相変わらず無感動な話し方をしたが、不意に「ほら」と何かを投げて寄越した。咄嗟に反応するも、片手に缶コーヒーを持ったままだ。取り落としそうになりつつ、慌てて掴む。 「彼女の胃の中にあった。どういう経緯でそこに入ったのかは、あんたが聞き出すんだな」  開いた掌の中には、丸いダグの付いたコインロッカーの鍵があった。『東15F』という手掛かりが、黄色いダグに刻まれている。  いくら妙な性癖のプレイでも、こんなものを無理やり飲ますはずはない。彼女が隠す場所に事欠いて、自ら飲み込んだのだろう。
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