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「さ、間もなく始まりますよ」
右隣でクイとグラスを空けた青年――藤浪祐彌は、モデルのような美形を緩めると、正面に広がる虚空を見上げた。
――ピュウゥ……ドオォーン!
笛の音のように甲高いビブラートが空気を切った数秒後、振動に近い重低音が轟いた。
「わぁ……!」
女性陣から歓声が上がる。垂れ柳の三尺玉だ。
刹那に光が戻った川のあちこちに、俺達と同じく花火を楽しむために停泊している屋形船のシルエットが、切り絵のように浮かんだ。
『……船遊び?』
指定暴力団松浪組、現組長の三男にして本部長の座に就く藤浪から、思いがけないメールが届いたのは、一週間前のことだ。
予定していた接待の酒宴が急遽キャンセルになったとかで、『こちらのスケジュールが合えば、お付き合い願えないか』というものだった。
藤浪が個人的に所有する『船』は、20人近くが座することが可能な堀ごたつを備えた、本格的な屋形船だ。それでも彼は『単なる道楽』と言って憚らない。
20代の若者にしては随分風流で渋い道楽だが、彼は日本の伝統美にいたく傾倒している。それは、少年時代に半ば強制的に故郷を追われて渡米した、彼の中に潜む望郷の念の反映なのかも知れない。
「譲ちゃん、素敵ねぇ」
優華がピタリと身を寄せて、俺にだけ聞こえるように囁いた。
「あぁ……格別だな」
彼女の腰に腕を回す。屋形船からの花火観賞に地上の華を、と誘ってくれたのも藤浪だ。
『貴方とのサシ飲みも悪くありませんが……接待の予定でしたので、食事を四人分予約してあるんですよ』
これは俺の快諾に対する藤浪の弁だが、恐らく詭弁であろう。接待のキャンセルというのも怪しい話で、最初からパートナー同伴のWデートを企図していたのではなかろうか。
『花火大会のお誘い? 私でいいの?』
藤浪の招待を告げると、優華は腕枕から首だけ起こして俺の顔を覗き込んできた。心配そうに眉尻を下げている彼女に微笑み、色づいたままの頬に触れる。
『他に誰がいるんだよ』
『分かったわ。お店、お休みにするわね』
『休み――って、一晩閉めるのか?』
潔い英断に、俺の方が動揺した。そんな心中を察したように、彼女は堂々たる笑顔を見せる。
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