013.花を拾った夜(1)

5/6
前へ
/176ページ
次へ
 俺と藤浪の間の肩越しから、遠慮しつつも譲らない口振りで、低い声が割り込んできた。  チラと視線を向けると、銀縁眼鏡をかけた短髪の中年男が会釈する。奴は、舞薗(まいぞの)――藤浪の()教育係にして、現在は腹心の側近だ。  舞薗が藤浪を『社長』と呼んだのは、世間に向けた藤浪の肩書きが『松浪建設・代表取締役』だからである。松浪組程の老舗の組織だろうと、みかじめ料や脱法ドラッグでしのぎを得る時代ではない。今日日、反社会的組織は多種多様なフロント企業を立ち上げ、己の存在を隠蔽しながら資金調達に走らなければ成り立たないのだ。全く、世知辛い時代である。 「すみません。ちょっと失礼します」  渡されたスマホの画面に素早く視線を走らせると、ビジネスライクな表情に切り替えて、藤浪は席を立った。そのすぐ脇を舞薗が付き従う。  今宵はプライベートの場ではあるが、松浪組の幹部に警護がつかない筈はない。実際、この船にはボディーガード達が四隅に控え、常に周囲に目を光らせているのだ。 「譲治さん。優華さん。今夜は、ありがとうございます」  パートナーの後ろ姿を見送ってから、冴子さんは改まった口調でこちらに身を向けた。 「いえ……礼を言うのは、俺達の方ですよ」  彼女は柔らかく首を振ると、瞳を細めた。 「祐彌は、今夜のことを本当に楽しみにしていたんです。彼、顔は広くても、お友達は少なくて。立場上、仕方がないのですけど」  恐らく藤浪という男は、根が寂しがり屋なのだろう。  俺は仕事柄、積極的に友人を持とうと思わないし、そのことを寂しく感じたこともない。社内に、腐れ縁と呼ぶ輩が多少いるにはいるが、かといってプライベートまで踏み込ませたくはないのだ。 「あの人、貴方のことを本当に慕ってるんです。ご存知でしょうけど」 「光栄ですね」  わが社と松浪建設は、ビジネスパートナーでもある。その意味で、俺達が親しい間柄になることは有益であろう。社外に個人的なパイプを持つことも、悪くはないと思う。だが、万一ボスに不利益や厄介が及ぶ事態になるのなら、俺は友情との板挟みになどなるつもりはない。藤浪との関係を断つことに、何の迷いも無いだろう。
/176ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加