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「最期の記憶は体にまとわりつく冷たい水の感覚よ」
クロエの話を聞き終えたエディの顔からは出会った時のような明朗さは消えていた。その場に跪き、地に両手をつける。
「謝って済むことじゃないのは分かっとる。しかし今の儂にはこうすることしか出来ない。本当にすまなかった」
東洋でいう土下座の格好をするエディをクロエはしばらく黙ったまま見下ろしていた。
「顔を上げてエディ。別に私はあなたを恨んでなんかいないわ」
見る目のなかった私が悪いのだから、という言葉は口には出さなかった。エディがゆっくりと立ち上がり、膝の土を払った。もう一度「悪かった」と言うのをクロエは黙殺する。
「ただ、最後に一つだけ聞いておきたいのだけれど」
クロエが足を組み替える。「なんだい?」と言う顔でエディが彼女を見た。
「一度でも、本当に私のことを愛していた?」
「当たり前じゃないか。妻に出会うまでは本当に君のことを愛してたんだ」
クロエの質問に即答するエディの光輪が赤く光った。
怒り、悲しみ、憎しみ、嫌悪、軽蔑、殺意。失くしたはずの感情が次々と蘇ってくる感覚にクロエは混乱し、困惑し、そして最後に微笑んだ。あなたが最後まで嘘つきでよかったわ。クロエの独白は心の内に留まり声になることはなかった。
「エディ。あなたは天国だったわね。天国は左よ。この道を真っ直ぐ進みなさい」
左の道を指すクロエの指先が震えていた。この嘘がバレることへの恐れから来るものなのか、この男に復讐出来る機会を得た喜びから来るものなのか。クロエには分からない。
「また会えるかな?」
エディは数歩進んだ所で振り返り、尋ねた。「さあ、どうでしょう」クロエが曖昧に答えると再び地獄へ続く道を歩み始める。その背中が見えなくなるまでクロエはただ見つめ続けた。
生温い風はいつしか止んでいて、束の間ざわめいた彼女の心も平静さを取り戻していた。今日もクロエは立ち続ける。黒い森の中、時折左右の足を組み替えながら。
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