石徹白騒動

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石徹白騒動

【石徹白騒動】 一、 「はじめに」  二、 「石徹白騒動の発端」 三、 「威徳寺問題」 四、 「石徹白豊前と社人」 五、 「平泉寺問題」 六、 「石徹白舎人極寒に追放」 七、 「三分の一の年貢化」 八、 「箱訴訟」 九、 「寺社奉行から評定所」 一〇、「幕府の裁定」 一、「はじめに 江戸時代、白山信仰、加賀国、越前国、美濃国(現石川県、福井県、岐阜県)にまたがる白山に関わる山岳信仰。  古くから「越のしらやま」として、詩歌に詠われた白山は、富士、立山とならび「日本三名山」のひとつに数えられる秀麗な峰であった。  また、白山から流れ出る豊富な水は四方の川を満たし、それが広く田畑を潤すお蔭で、人々の生活と農事の一切が成り立っていた。 このため、古代より白山は「命をつなぐ親神様」として、水神や農業神として、山そのものを神体とする原始的な山岳信仰の対象となり、白山を水源とする九頭竜川、手取川、長良川流域を中心に崇められていた。  奈良時代になると修験者が信仰対象の山岳を修験の霊山として日本各地で開山するようになり、白山においても、泰澄が登頂して開山が行われ、原始的だった白山信仰は修験道として体系化されて、今
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