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午前十一時三十分。被疑者Nのアパート周辺に集まった三台の捜査車両は、それぞれの持ち場でNが動き出すのを待っていた。
結局、私は生田係長と組むことになった。そして、強行の二人がそのままタッグを組み、テレビから出てくるホラーな人になった東田を、林巡査部長が面倒見ることになった。
「ついてないな」
何度目になるかわからないため息を、生田係長があからさまにこぼす。Nの尾行を最初に行うため、Nがアパートから出てくるのを確認しないといけないというのに、生田係長はスマホをいじってはため息を繰り返していた。
「強行から応援じゃなくて監視に来たっていうなら、これだと意味ないだろ。ちゃんと田代ちゃんが俺のことを監視してくれないと、何のために生安に来たんだって話になるよな?」
生田係長が愚痴りながらシートを倒した。そもそも、なめられないようにするって意気込みだったはずなのに、初心をすっかり忘れてしまった生田係長からは完全にやる気のオーラが消えていた。
そんな生田係長を横目に、アパートのドアを眺めたままぼんやりと渡辺巡査部長のことを考えた。
確かに生田係長の言う通り、監視が目的なら生安のメンバーと組むべきだと思う。なのに、あえて私たちから距離を取っていることに漠然とした違和感があった。
――あの笑いが気に入らないんだよね
班を決める際に見せた薄気味悪い笑み。それは、何かを企んでいることを暗示しているように思えて仕方なかった。
そのことを生田係長にそれとなく伝えると、生田係長は頭の後ろで手を組んで目を閉じた。
「田代ちゃん、お前と同期だって?」
「え? はい、そうですけど」
生田係長から返ってきたのは、渡辺巡査部長のことではなく美奈子のことだった。ただ、その表情からはいつの間にかだらしなさが消えていた。
「最初から刑事を目指してたんだって?」
「ええ、警察学校の頃から言ってました。絶対に刑事になるって。同じように刑事課を目指してた私を、特にライバル視してました」
「なぜだ?」
「私の父は本部の刑事課長ですから、七光りで簡単になれると思い込んでいたみたいです。美奈子には警察にツテがありませんでしたから、独りで頑張ってたみたいです」
実際、私が生活安全課に配属となったことに父が関係しているかはわからない。むしろ、私が生活安全課に配属となったことについては喜んでいなかったと思う。だから、七光りと言われることには抵抗があるけど、孤軍奮闘していた美奈子にはそう見えたのかもしれない。
でも、実際は美奈子が先に刑事になっている。しかも人気が高い刑事一課強行犯係だ。県警でもその部署に女性は僅かしかいないし、嶋中島署では美奈子一人だ。今はライバル視しているというよりも、勝ち誇って私を見下しているといったほうがいいかもしれない。
「田代ちゃんが刑事になったのは?」
「二年前です」
「そうか」
生田係長はそう呟くと、眉間にしわを寄せて黙りこんだ。
「浅倉、ちゃんと支えてやれよ」
「へ?」
「猛者揃いの強行犯係で、紅一点だからな」
「それは、どういう意味ですか?」
私が問いかけると同時に、Nがマンションから姿を現した。ネズミ色の作業着姿は写真の姿と同じだった。ただ、夜勤明けでもあるせいか、全体的に疲れた雰囲気が漂っている。マンション前にとめてあった白い軽自動車に乗り込む際には、茶色のクロックスが見えた。
「作戦開始だ」
生田係長がシートを起こしてエンジンをかける。とりあえず疑問を押し込めて、私は無線で待機車両に作戦開始を伝えた。
尾行のポイントは、出発と到着にある。警察の気配を感じている被疑者ほど、出発の時にナーバスになるからだ。その反面、車を運転し始めると警戒が割りと緩くなったりすることが多い。そして、運転が終わった直後に、警戒心が再び顔をのぞかせるのだ。
先回りしている待機車両の情報から進路を割り出し、間に二台の一般車両を挟んで追尾を開始する。車内には私が進路を告げる無線だけが響き、生田係長は黙ったまま運転に集中しているみたいだった。
大通りを走ること数十分。Nの車は市内にある大手の量販店へ入っていった。生田係長は一旦やり過ごすためそのまま直進し、後続の東田たちが追尾することになった。
東田からNが店内に入ったと連絡が入ったところで、生田係長が車を反転させた。
「女子トイレに入ったら、一気に攻めるからな。それ以外は、確実にカメラを仕込んでるのを確認してから動くってことを、しっかり頭に叩き込んでおけよ」
いつになく張りつめた指示に、私の返事も大きくなる。普段はだらしない顔も、現場に入ると見違えるほど厳しく見えた。
駐車場に車を入れたところで、渡辺巡査部長たちが店内に入っていくのが見えた。ここから互いのやりとりは、全て携帯で行うことになる。だから、やろうと思えば強行のメンバーを外して生安のメンバーだけで情報をやりとりすることもできる。
でも、それは強行の班も同じだ。生安に情報を回さないで、自分たちで何かをしようと思うこともできるのだ。
――なんか、嫌な予感がする
渡辺巡査部長の含み笑いが頭から離れないせいで、何となく強行の二人が不気味に見えた。
店内に入ると、空調の冷たい風が高まった熱気を優しく包んでくれた。今日はお店の特売日ということもあり、店内はお客さんで溢れていた。
「対象は、ターゲットを探して徘徊してるみたいだな」
東田からの報告を受けた生田係長が、店内を見渡しながら呟いた。その視線がトイレの位置を確認しているのがわかった。
トイレの位置は二ヶ所。出入口横と、店内奥にある。もし入るとしたら、人気の少ない奥のトイレになると予想できた。
「渚ちゃんたちと交代するぞ」
生田係長の合図に合わせ、食料品売り場にいた東田たちと交代する。ここからは、生田係長と離れて別々にNを監視することになるから、一気に緊張が押し寄せてきた。
Nとは付かず離れずの距離をとりつつ、Nが飲料水売り場に入ったところで美奈子から電話が入った。強行は出入口横のトイレで待機しておくと生田係長に伝えてとだけ言って、電話はあっさり切れた。
再燃し始めた嫌な予感を胸に抱えたまま、それとなく生田係長に近づく。生田係長は子供を抱いた若い女性に釘付けになっていた。
「仕事中ですよ」
呆れながら言うと、生田係長は微かに動揺しながらも得意の言い訳を並べ立てた。
「美奈子たちは出入口のトイレで待機しておくそうです」
そう伝言して持ち場に戻ろうとした私だったけど、生田係長の鋭い声に呼び止められた。
「浅倉、油断するなよ。強行の奴ら、多分狙ってるぞ」
「狙ってるって、何をですか?」
「手柄だよ。あいつら、自分たちだけで犯人を逮捕するつもりかもしれん」
突然のことに動揺した私に返ってきたのは、予想はしていたけど口にはできなかった言葉と、生田係長の寒気すら感じる冷たい眼差しだった。
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