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 翌日、朝から調査を開始した私は、東田に協力を求めることにした。事件現場は繁華街であり、そこにある飲食店や風俗店の管理は生活安全課が担っている。私は風俗営業許可関係は明るくないけど、東田は以前専門に扱っていたみたいだから、今でも店には顔がきくかもしれないという期待があった。  東田の携帯に電話を入れて用件を伝えると、あろうことか東田は仕事を抜け出して付き合ってくれると言ってくれた。  何だか悪いことをしたみたいな気がしたけど、署の近くで合流した東田はいつもと変わらないのんきさを見せていた。常套句の「父が危篤になった」という言い訳を使ったよと、現在進行形の私に遠慮もなく笑っていた。 「それで、東田さん」 「あ、ちょっと待って」  繁華街に向けて走り出したところで、東田がスマホを取り出した。ラジオのアプリを立ち上げたところで、スマホから競馬の実況が流れてきた。 「今月の生活費がかかってるの」  シャツの腕を捲り、スマホを凝視した東田が呪いをかけるかのように呟く。その姿は既に戦闘態勢に入っているみたいだった。 「あ、こら、四番! なに進路妨害しとんじゃ! 舐めた真似したら公務執行妨害で逮捕するぞ!」  いつもの無茶苦茶な応援が狭い車内に響き渡る。血走った目でスマホを睨む東田から、鬼神のようなオーラが漂いだした。 「よっし、いけ! 二番! 私の明日はあんたにかかってるんだからね! よし、そのまま、そのまま行け! そのまま七番ぶん殴っていいから突っ走れ!」  ドン引きするような応援の後、東田の歓喜の雄叫びが響き、東田は運転中の私をお構いなしに叩きだした。 「あー、助かった。これを外したら、また闇金から借金するところだった」  東田がスマホにキスをしながらのんきな声を上げる。どうも仕事を抜け出してきたのは、私のためではないような気がしてきた。 「で、何の話だっけ?」  私の白けた態度に気づいたのか、東田が髪を掬いながら申し訳なさそうに聞いてきた。 「東田さんて、風俗営業許可関係に詳しいですよね? だから、繁華街の店にも顔がきくかと思いまして」  そう切り出し、東田にお願いの主旨を続けて説明する。事件が起きた現場が繁華街ということから、父がそこに入り浸っていたかどうかを知りたかった。もし密かに通っている店があれば、そこから情報を聞けるかもしれないという魂胆だった。 「あんた、自分で捜査するつもりなの?」 「え?」  私の話に眉をひそめた東田が、呆れたように呟いた。 「捜査は一課の連中に任せておけばいいじゃん。うちら生安は管轄違いでしょ?」 「そうですけど、でも、私は自分で調べてみたいんです」  ハンドルを強く握りながら、監察官とのやりとりを東田に話をした。今や警察組織は、父を刑事一課長として見ていない。スキャンダル疑惑をかけられた元一課長程度の認識のはず。  それは捜査本部も同じだろう。スキャンダル疑惑の刑事が巻き込まれた事件として、淡々と捜査して終わるのが目に見えている。  それが嫌で、捜査本部には頼りたくなかった。どうしても、スキャンダルと父が結びつかない思いが強く、だから、事務的なマニュアル通りの捜査では、父のスキャンダルの真相がきちんと明かされるかどうかに不安があった。下手したら、汚名の返上する機会もなく捜査が終了する恐れさえもある。  だから、自分の目で真相を確かめたかった。父がなぜ、刑事としては許されないような方法で解決を試みたのか。その真相を、私だけはしっかりと確認しておきたかった。 「わかったわ。係長からも頼まれてるし、本格的に協力してあげる」  話を黙って聞いていた東田が、私の目を見て微笑んでくれた。 「生田係長に頼まれたんですか?」 「まあね。あの人は、一課の暴れん坊時代にあんたのお父さんに相当面倒見てもらったみたいだから、あんたのことも含めて心配してるみたいよ」  東田がそう説明してウインクしてきた。要するに、今日のことも生田係長の思惑があってのことらしい。  生田係長の気遣いに、半分体が痒くなりそうだったけど、素直にその気持ちに感謝した。  繁華街の駐車場に車を置き、東田の案内で中心部にある店に向かった。生田係長が泣いて喜びそうな店が並ぶ中、やっぱり父がこうした店で女性とトラブルになったとは思えなかった。  東田が案内したのは、雑居ビルの中にあるホストクラブだった。昼前のこの時間はさすがに営業してなかったけど、東田は遠慮なく閉ざされたドアをノックした。 「こういう繁華街にはね、必ず情報通がいるの。今から会うのはその一人よ」  何度もドアをノックしながら、東田が意味深な笑みを浮かべた。その様子からして、東田はこの一帯には相当詳しい感じがした。 「なんだ、渚ちゃんかよ」  ドアを開けて出てきたのは、三十になるかならないかの、ホストの鏡のような綺麗な顔をした人だった。 「ガサじゃないから安心して」  東田がそう伝えると、ホストは気だるそうに中へ入れてくれた。  薄暗い間接照明だけがついた店内の奥にあるボックス席に座る。研修で一度来たことはあるけど、こうした店には、未だにどこか抵抗があった。 「で、用件は?」  ホストは煙草に火をつけながら、私をじろりと睨んできた。その品定めするような視線を不快に感じていると、東田がポケットから折り畳んだメモをホストに差し出した。 「先日起きた事件の情報。犯人がこの繁華街関係者かどうか知りたいの」  東田が一気に核心をつく中、ホストは折り畳まれたメモを丁寧に開き、一通り目を通すと、煙草の煙をゆっくりと天井に向かって吐いた。 「あの事件のせいで、ここら一帯は迷惑してんだけど。連日、昼も夜もサツにうろうろされたらたまったもんじゃないよ」  ホストは再度メモを一瞥すると、無造作にポケットに突っ込みながら、迷惑そうな顔で語りだした。 「刺されたのはサツのお偉いさんだっけ? 残念だけど、ここら一帯の店にその人を知る人はいないかな」 「それはつまり、どっか特別に出入りしてた店はないということでいいのかな?」 「そういうこと。みんな、あいつ誰だ? ってなってるのに、サツの野郎は知ってることを話せって怒鳴ってくるし。こっちの方がどんだけお偉いさんなんだよって言ってやりたいぐらいだよ」  ホストが忌々しそうに煙草を灰皿に押し付けた。語り口からして、嘘をついているようには見えなかった。  ホストの話によれば、父は特別に繁華街のどこかの店に入り浸っていたわけではないらしい。繁華街の人が知らないということは、日常的にこの一帯を利用していた可能性もないと考えていいみたいだ。 「犯人に心当たりは?」 「さあね。目撃した奴、誰かは聞かないでくれよ、そいつの話だと、若い女と言い争いになってたらしいぜ」  僅かにホストが視線を外した。本当は語りたくはないけど、東田だから話しているという雰囲気が伝わってきた。  ――言い争っていた?  ホストの言葉に、疑問符が心に波風を立てる。父は何度か携帯電話でやりとりした後に、現金を用意していた。それはつまり、相手と話し合って決めた金額のはず。それをただ受け渡すだけだったはずなのに、想定外のトラブルがあったということだろうか。 「サツのお偉いさんと紙袋を巡って押し問答していたところに、若い男が来ていきなりこれだよ」  ホストは語りながら、ナイフで刺す仕草をみせた。  ――あっ!  その仕草を見て、私はふとあることに気づいた。父はナイフで数ヵ所刺されている。けど、父が相手をしたのは女性だ。よく考えてみたら、百戦錬磨の父が女性相手に簡単にやられるはずがない。  ――共犯者がいたんだ  ホストの話を鵜呑みにすれば、父は不意討ちで刺されたことになる。だから、防ぎようもないままやられてしまったのだろう。  こめかみにチクリと痛みが走った。何か重要なことを聞いた気がしたけど、それが何なのかわからず、モヤモヤしたものが頭の中で渦を巻き始めていた。 「その若い男の情報は?」 「さあね。誰も知らないってことは、この一帯の奴らじゃないってことだろ」  東田の質問に、ホストが嘆くように呟いた。その態度から、この一帯の人たちも迷惑していると言いたいことがわかった。  これ以上の情報はもう引き出せないと判断したみたいで、東田は私に視線を向けて立ち上げった。 「たまたまあの現場が選ばれただけみたいね」  外に出ると同時に、東田が大きくノビをしてあくびを噛み殺した。 「そうですね。なんだか、ちょっとだけホッとしました」  暗い部屋から出たせいか、眩しすぎる太陽に目を細める。父が繁華街の関係者とトラブルになったわけではないことに、ちょっとだけ体が軽くなった気がした。 「そういえば、あのホストに渡していたのは何ですか?」 「ああ、あれ? ただの内偵情報よ」  東田は全く悪びれた様子もなく、笑いながら答えた。 「へ? それってヤバくないんですか?」 「いいのよ。そのくらいしてやらないと、あいつらは口を開かないの」 「でも――」  何だか悪いことをさせた気がして申し訳なく思っていると、東田は目を丸くして豪快に笑いだした。 「大丈夫よ。私はもう担当が違うから」 「へ?」 「内偵情報っていっても、ただの日付だから。適当に競馬の開催日を書いておいただけよ」  東田がウインクしながら小さく舌を出した。その仕草に、ようやく私も久しぶりに笑ったような気がした。
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