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 翌朝、生田係長に呼び出された私は、病院に向かっていた進路を嶋中島署へ切り換えた。  たった二日しか留守にしていなかったのに、妙に懐かしい感じがしながら生活安全課のドアを開けたけど、いつもと変わらない光景にホッとした。  そんな私の横を、少年係の若い係員が息を切らしながら走っていった。 「係長! クロでした!」  係員の声に、生田係長がガッツポーズを取る。相変わらず昼ご飯をかけているのを見る限り、生田係長は平常運転だった。 「また事件資料を使って賭けをしてるんですか?」  ドヤ顔を決めている生田係長に詰め寄ると、生田係長はにんまりと笑い始めた。 「お前な、大切な事件資料で賭けなんかするかよ。今回はちゃんとした捜査だ」  生田係長が心外とばかりに眉間にシワを寄せる。その言い方もどうかと思ったけど、生田係長らしくてため息で返してやった。 「それより、今日の呼び出しは何ですか?」  けしからんぞと繰り返している生田係長に、私は呼び出し理由を尋ねた。 「ああ、浅倉課長の件で聞きたいことがあってな」  私の問いに、笑みを消した生田係長が用件を切り出してきた。 「だいたいの状況は、一課と渚ちゃんから聞いている。その上で聞きたいんだが、浅倉課長の自宅に不審な電話はなかったか?」 「どういうことですか?」 「一課の連中に聞いたら、浅倉課長の携帯に不審な電話が何度か入っていたらしい。番号から身元を探ったが、飛ばしの携帯だったらしくて身元は割れなかった。それに、繁華街には浅倉課長に繋がるネタはない。となると、何者かが浅倉課長に近づくには、自宅に電話するか直接会うかの二つしかない」  生田係長の話に、私は黙って息を呑んだ。なんだかんだ言いながら、陰で動いていた生田係長のことを、改めて嬉しく感じた。 「はい、家に女性から不審な電話がありました。その後は直接携帯でやりとりしてたみたいです」 「他には?」 「え?」 「他に電話はかかってきてないのか?」  てっきり女性の電話に食いつくかと思いきや、生田係長は憮然としたままだった。 「後は、特殊詐欺の電話がかかってきたぐらいです。でもそれは、父が説教してたから関係ないと思いますけど」  関係ないと思いつつも、特殊詐欺の電話の件を伝えると、生田係長は腕を組んで目を閉じた。 「なぜ言い争いになった?」 「え?」 「金を受け渡す段階になって、なぜ言い争いになるんだ? 浅倉課長は納得した上で現金を用意したはずだ。なのに、なぜ受け渡す段階でトラブルになったんだ?」  生田係長の質問に、私は答えられなかった。やっぱり、生田係長も父が被疑者と言い争いになったことを不思議に思っているみたいだ。 「そこに共犯者の男が現れ、不意討ちで浅倉課長を襲った。しかし、二人とも金には手をつけずに逃げた。まあ、数万なくなっているから、その分は手にしたかもしれない。ただ、大部分には手をつけなかったことが気になる。浅倉課長が抵抗したというのもあるかもしれないが、男にとっては金が目当てというよりは、別の理由があったのかもしれない」  生田係長か顎をさすりながら、聞き取れない声でさらにぶつぶつと一人言を呟きだした。  珍しく真面目な姿に、少しだけ胸が締め付けられるように苦しくなる。真剣に考え込んでいる生田係長の横顔に、つい見とれてしまった。  と、そこで私のスマホが鳴っていることに気づいた。反射的に見ると、電話の相手は母だった。  心臓が大きくせり上がり、震える手つきでスマホを操作する。けど、着信は無情にも切れてしまった。焦る気持ちを落ち着けながら母にかけ直すけど、何度かけても母は電話に出なかった。  ――まさか  嫌な予感がした。昨日聞いた医師の言葉が甦る。もうもたないかもしれないと語った言葉が、何度も脳裏に過った。 「どうした?」  私の異変に気づいた生田係長が、険しい顔で尋ねてきた。けど、その問いに私は何も反応を示すことができなかった。 「病院に行くぞ」  生田係長が突然私の手を掴んできた。その温かく大きな手に驚いたけど、何も言えないまま生田係長に引っ張られるだけだった。  病院までは生田係長が送ってくれた。運転中、生田係長はずっと一人言を繰り返すだけで、私には何も話しかけてこなかった。  病院に着くと、集中治療室の前にやつれた母と肩で息をする兄の姿が見えた。その横を、看護師と医師が慌てたように集中治療室の中へと走っていった。 「お母さん!」  私が声をかけると、なんだか小さくなった母が、涙で腫れた顔を見せてきた。 「お父さんは?」  駆け寄って母の手を握ると、母は涙を流しながら嗚咽を繰り返した。  その様子に、最悪な結果を覚悟した。覚悟はしたけど、色んな感情が混ざり合っているせいか、上手く言葉を出せなかった。 「安心しろ。親父の容体が悪化したんじゃない」 「へ?」  肩で息をしていた兄が、ぎこちない笑顔で口を開いた。 「親父の意識が戻ったんだ。今、先生が診察してる」  うっすらと涙をためた兄が、ぶっきらぼうに言う。最初は意味がわからなかったけど、ようやく事態が飲み込めて、私はその場に崩れ落ちた。 「良かったな、浅倉」  力が入らず呆然としていた私の肩に、生田係長が手を置く。見上げると、生田係長が母に敬礼していた。 「久しぶりね、生田さん」  懸命に涙を拭いながら、母が笑顔を作ろうとする。その様子から、母と生田係長は顔見知りだとわかった。 「じゃ、俺は帰るからな」  母と生田係長のやりとりに気をとられて気づかなかったけど、どうやら兄は前回と同じように父とは会わすに帰るつもりらしく、いつの間にか表情も険しいものになっていた。  そのまま立ち去ろうとする兄。けど、その足を止めたのは、意外にも生田係長だった。 「ちょっといいか?」  兄の肩を掴んだ生田係長が、寒気を感じるほどの厳しい目で兄を睨んだ。 「貴方は誰ですか? 手を離してください。失礼でしょうが」  最初は鼻息荒く睨んでいた兄だったけど、生田係長の睨みに気持ちを削られたのか、弱々しく生田係長の手を払おうとした。 「まだわからないのか?」 「は? 何を言って――」  兄が眉間にシワを寄せて生田係長を睨みつける。けど、当の生田係長は視線を兄から母に向けていた。 「貴方はわかってたはずですよね?」  生田係長の問いに、母が小さな肩を震わせた。  ――どういうこと? ていうか、何が起きてるの?  突然の展開に、私は意味がわからないまま生田係長を見つめた。生田係長が一瞬私を見たけど、すぐに厳しい眼差しを兄に向けた。 「浅倉課長がなぜこんな事件に巻き込まれたのか。その原因がお前だということを、ちゃんとわかってるのか?」  生田係長の威圧的な言葉に、今度は兄が肩を震わせた。そのやりとりは、まさに刑事が被疑者を落とすために恫喝している様に似ていた。 「なんで俺が原因なんですか?」  震えながらも、兄は迷惑そうに生田係長を見返す。けど、兄がため息ついた直後に、生田係長が「いい加減にしろ!」と一喝したことで、場の空気は一瞬にして凍りついた。 「浅倉課長が巻き込まれた事件はな、特殊詐欺なんだよ。昔の言葉で言えば、浅倉課長はオレオレ詐欺の被害に遭ってるんだよ」  生田係長は語気を強めてさらに兄を一喝した。その眼差しには、父を思っているのか、寂しく悲しい光だけがあった。
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