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 事件が起きたのは、駅前のターミナルから少し外れた場所だった。既に先着していたパトカーや捜査車両で埋め尽くされた現場には、騒ぎに気づいた通行人による人だかりもでき始めていた。 「なんか、物々しいですね」  現場にはパトカーの無線機と携帯電話片手にやりとりする制服の警察官や、怒号混じりに指示を出す機動捜査隊の隊員たちが忙しなく走り回っていた。 「緊配が発令されたからな。それだけ上はピリピリしてんだろうよ」  他人事のように語る生田係長は、何度も呼び出し音が鳴るスマホを恨めしそうに睨んでいた。 「出ないんですか?」 「出たら関わることになるだろ。顔だけ拝んだら、適当に距離を置いてうろうろしてるだけでいい」  さらりととんでもないことを口にする生田係長に、収まりかけた怒りが再び爆発した。 「生安の生田係長、到着しました!」  わざと大声で叫ぶと、「馬鹿」という声が飛んできた。 「所轄のくせに遅いぞ」  私の叫び声に、生田係長と同じ紺色の作業着みたいな制服を着た般若顔が近づいてきた。 「ちょ、生田係長、暴力団員が紛れこんでますよ」  林巡査部長にひけをとらない顔に驚いた私は、瞬間移動で生田係長の背中に隠れた。 「馬鹿、暴力団員がいるわけないだろ。こいつは機捜の班長だ」  さらに睨みをきかせてきた般若に震える私に、生田係長が呆れた声で囁いた。 「相変わらずだな、生田よ。今は生安でまな板のお守りか?」  般若が歪んだ顔で私を見下してきた。その視線が私の顔じゃなくて胸に向けられていることに気づいた私は、生田係長の背中から抗議の顔を出した。 「おい、確かに絶壁だけど、少しくらい気を使った言葉を選べよ」  間に入った生田係長が呆れ気味に言い返す。とりあえずその背中を、「お前もな」と恨みを込めてつねった。  ――てか、事件現場で捜査じゃなくて胸をいじられる私ってどうなのよ  急に悲しくなった私の頭を、生田係長が目を閉じて首をふりながらなでてくる。その仕草にイラッときて、もう一度背中をつねり上げた。 「それより、事件はどんな感じだ? できれば今すぐ帰りたいんだけど」 「ったく、お前って奴は相変わらずだな。まあいい、それより事件なんだが、例の強制わいせつで間違いないな」  般若の渋い声に、生田係長の耳が尖り始める。美人が襲われる例の事件と聞いて、生田係長の期待が高まったらしい。 「今うちのが調書とってるから、終わったらお前も聞いてみろよ」 「いや、いい。顔だけ見たら後は任せるよ」  生田係長の返事に、般若がため息をついてその場を離れていった。 「ちょっと、そんなんでいいんですか?」 「何が?」 「普通、被害者に犯人の特徴とか聞いて」 「いらないね」  生田係長が集まり始めたギャラリーに目を向けながら、きっぱりと切り捨ててきた。 「なぜですか?」 「機捜は初動捜査のスペシャリストだ。あいつらに任せておけばホシの目星もつく。そうすれば、緊配かかってるし、それに自ら隊も検索に出てるから、目星のついた奴に片っ端からバンかけるだろう。ということで、捕まるのも時間の問題ってわけだ」 「だから、顔写真だけ撮って終わりにするんですか?」  私は不満を言葉に込め、怒りを視線に滲ませた。 「どどど、どういう意味かな? はは、そ、そんなこと、警察官としてあるまじき行為だぞ。被害者の顔写真と110通報の声を使うなんてけしからんぞ。うん、実にけしからん」  生田係長がいきなり狼狽し、口笛を吹く仕草を始めた。さっきのラインを読んで連想できないほど私は馬鹿じゃない。ていうか、この状況で本気で誤魔化せると思った生田係長の脳みそには、もはや哀れみしか抱けなかった。  さりげなく写真を撮り始めた若い女の子たちに話かけにいった生田係長を横目に、私は機動捜査隊の人たちをぼんやり眺めた。  ――警察って、ああいう人たちをいうんだろうな  きびきびした動きと真剣な眼差し。うなだれて座り込んだ被害者の女性に優しく寄り添う姿。かつて父の背中越しに見た憧れの世界が確かに広がっていた。  ――なのに、エロバカ係長ときたら  女の子に紛れて写真まで撮られているその顔は、だらしなく鼻の下が伸び、肝心の鼻は器用に横を向いて、女の子の匂いを吸い込んでいるのが見えた。 「いやー、まいったまいった」  私の視線に気づいた生田係長が、頭をかきながら戻ってきた。 「聞き込みしようとしたら、写真撮らせてくれだって。インスタントガムにアップするからってよ。何だよインスタントガムって。新手のラバープレイか?」  ご機嫌良く戻ってきた生田係長の勘違い話に、呆れを通りこして頭痛しかしなかった。 「ほら、行きますよ」  さらに別の女の子たちの所へ行こうとした生田係長の耳を引っ張って、被害者のもとへと向かった。  うつむいてるからはっきりとはいえないけど、かなり若い女の子に見えた。よく手入れされたさらさらの長い黒髪、高そうなブランド物の白いワンピースに、これまた気品と高級感溢れるベージュのサンダル姿は、一言でいえば隙のない女性だった。  そんな美人オーラ全開の被害者が顔を上げた瞬間、生田係長の足が止まった。  ――あれ? ひょっとして  女性の顔を見た瞬間、強烈な違和感が襲ってきた。その違和感を確かめる為に近づいて顔を確認してみる。何度見直しても、女性の顔は化粧をしているとはいっても小学生ぐらいにしか見えなかった。 「浅倉、帰るぞ」 「ちょ、何でですか?」 「現場を間違えた。俺のハニーはここにはいなかった」  そう言い残して去ろうとする生田係長を、私は慌て引き戻した。 「現場はここであってますし、それに何ですか? そのハニーっていうのは」 「何言ってんだお前。ここのどこに美人のお姉さんがいるんだ。いるのは学校をサボってるガキだけだろうが。俺は警察であって教師じゃないぞ」  苛立ちを隠すことなく、周りを完全に敵に回す発言を繰り返す生田係長が、なんだかかわいそうに見えてきた。 「ちょっと、いくらなんでもそんな態度は失礼でしょ」  私が注意すると、生田係長は大袈裟に仰け反って顔をしかめた。 「はあ? 何言ってんだよお前。まさか俺に、ガキの話を聞けって言うんじゃないだろうな」 「そうですけど。それに、小学生という前に、彼女は被害者なんですよ。てか、周りを見てください。みんなドン引きですよ」  私の説得に渋々周囲に視線を向ける生田係長。そんな生田係長の狼狽に対する周囲の警察官たちの刺すような瞳が、恐ろしく冷たく見えた。  にも関わらず、生田係長は舌打ちした後、なりふり構わずスマホを取り出して、どこかに電話をかけ始めた。 「ああ、林か? 悪いけどすぐ来れるか? そう、ヤバい事件なんだ。え? メロリンを危険な目に合わせたくない? 馬鹿、違うって、その危険じゃなくて、道義的な問題だからメロリンに解決して欲しくて、って、おい切るなよ」  ほとんどピエロと化した生田係長が、忌々しそうに再び電話をかけた。 「あ、渚ちゃん? ちょっと来れる? うんホスト絡みの事件でさ、結構イケメン揃いばかりなんだよ。え? 4レースを2の頭で流しで買って来い? いや、だから今は事件現場で奮闘してて、幅広い年齢層に対応できる人が必要なの。あ、おい、だから切るなって」  虚しい声が響いた後、だらしなく肩を落とした生田係長が私に疲れた顔を向けた。 「あいつら最低だよな」 「あんたが一番最低なんですけど」  署員が注目する中で、醜い駄々をこねた生田係長を睨みつける。生田係長が一瞬固まったけど、小さく「生きててさーせん」と呟いた。
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