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 すっかり気落ちした生田係長の前に、タブレットを手にした般若が近づいてきた。 「生田、一応事件の概要を伝えておく」  般若が、面倒くさそうな顔で事件の流れを話し始めた。  事件が起きたのは、駅前のターミナルから裏道に一歩入った所にある自動販売機の前だった。電車から降りた被害者は、そこでジュースを買っていた時に後ろから抱きつかれたという。犯人は抱きついただけで、その後は裏道を走って逃げたらしい。被害女性は肩からブランドもののバックを下げていたが、それには手をつけていないことから、純粋なわいせつ目的と判断したという。  人定の結果、やはり女性は小学六年生の女の子で、母親の洋服とバックを利用して変装し、学校をサボって買い物に来ていたとのことだった。 「で、これがターミナル前にあった防犯カメラの映像だ。被害者は犯人の顔を見てないが、走り去る後ろ姿は見ている。長身で黒のジャージ姿。頭は赤いニット帽を被ってたらしいが、ひょっとしたら赤い坊主頭かもしれないと言っている」  般若の説明を聞きながら、タブレットに再生された映像を確認すると、女の子の後ろを数人が歩いているのがわかった。その中には、さっき生田係長と写真を撮っていた女の子のグループや、被害女性の証言に一致する赤い頭の男がいた。 「先着したのは機捜か?」 「いや、所轄のパトロールだったはず。確か、あいつだ」  般若は怪訝な顔をしながら、急に質問してきた生田係長へ現着時の状況を説明した。 「目撃者は?」 「今聞き込みしてるとこだが、まだあたりなしだ」  般若が苦虫を噛んだような表情を見せたけど、目撃者よりも防犯カメラの採取を進めてると苦笑いを浮かべた。 「ちょっと気になることがあるから確認してくる」  そう言い残して、生田係長は颯爽と般若が指差した警察官のもとに駆けていった。そして、いくつかのやりとりをした後、生田係長は満足そうな顔で戻ってきた。 「気になることって何ですか?」  堪らず私が質問すると、生田係長は周囲の野次馬に手を振るのを止めて、私の顔を覗き込んできた。 「現着時の状況を聞いてきたんだ。こんな風にギャラリーや野次馬はいたのかって。答えはノーだった。いつもと変わらないのどかな現場で、ギャラリーや野次馬が集まったのはパトカーが一斉に集まってからだった」 「それが何か意味あるんですか?」  私の問いに、生田係長は答える代わりに気持ち悪い笑みを浮かべた。何か企んでいるのか、真面目にやっているのかわからない態度に嫌な予感しかしなかった。そのため、生田係長が女の子の前に移動するのに合わせて、私も生田係長の隣に陣取った。 「何度も同じことを聞いてすまないが、もう一度事件のことを教えてくれないかな?」  生田係長が、ポケットから折りたたみ式の手帳を取り出して開いて見せる。手帳には風俗店のチラシの切れ端が挟まっていて、あろうことか全裸に近い女性の画像が、女の子の目の前を落ちていった。 「おっと、失礼。内偵中の資料でして」  さりげなく拾い上げながら、生田係長が頭をかいた。  ――嘘つけ! ていうか、大切な警察手帳になんてものを挟んでるのよ!  心の中でため息をつきながらも、生田係長が変なことを言い出さないかに意識を集中させた。 「電車から下りた後、誰かからつけられている感じはあったかな?」 「同じ方向に歩いていく人はいましたけど、後をつけてきているかどうかまではわかりません」  肩を落とした女の子が顔を上げて話し出した。確かに声だけ聞いたら、綺麗なお姉さんと連想してもおかしくなかった。それだけに、眉をピクピクさせている生田係長の怒りと落胆は容易に想像できた。 「一緒に歩いてた人の中に、女の子のグループがいたのは覚えてる?」 「あ、えっと、なんかかわいくもないのに、  ウザい集団がいるなって思ったのは覚えてます」 「あ?」  女の子の返答に、生田係長の本心がドスの効いた声に表れる。私は慌てて生田係長の横腹を肘打ちした。 「自動販売機でジュースを買った後、背後から勘違いした哀れな奴に抱きつかれたわけですね?」 「え? あ、はい。そうですけど」  女の子は生田係長の言葉の真意を理解できていないみたいで、曖昧な返事で濁していた。けど、その瞳にははっきりとした不信感を滲ませ始めていた。そのため、私は愛想笑いを浮かべながら生田係長のつま先を二度踏んづけてやった。 「抱きつかれた後、君はどうした?」 「びっくりして、固まってしまいました。けど、勇気を出して悲鳴を上げました。そしたら、その人は走って逃げていったんです」 「なるほど」  半分涙目になった女の子が、震えながら事件の詳細を語ってくれた。それなのに、生田係長は鼻をほじりながらメモ帳へ鼻歌混じりにペンを走らせていた。 「この臭いおっさん、本当に警察官なんですか?」  明らかに怒り満ちた瞳で、女の子が生田係長を睨みながら私に不満をぶつけてきた。 「おっさん、だと?」  女の子の言葉に顔色の変わった生田係長が、肩を震わせながら女の子に顔を近づけていった。 「この爽やかな青年顔のどこがおっさんなんだ?」 「全部。てか、臭い息吐きかけないでよ、おっさん」  生田係長の言葉に、しおらしさを捨てた女の子が毒を吐いた。それをきっかけに、女の子と変わらないレベルの言い合いを始める生田係長。小学生の女の子を相手に情けないほどむきになっている姿は、見ていて痛い以外になかった。 「虚偽親告罪だ」  女の子に言い負かされた後、眉を高速でピクピクさせている生田係長が静かに呟いた。 「ちょ、いくらなんでも虚偽親告罪ってのはあんまりじゃないですか!」  確かに生田係長はどう見てもおっさんだから、それを指摘しただけで虚偽親告罪になるのはあんまりだった。 「何言ってんだお前」  生田係長の呆れた顔と声が同時に向けられた。 「だから、おっさんと言われたことに腹を立ててるんですよね? だからといって虚偽親告罪ってのはあんまりだって言ってるんです」 「はあ? さっきから何言ってんだお前。俺はこの事件が虚偽親告罪って言ってんだ」 「え?」 「さっきの聴取はな、誘導尋問だったんだ。それに彼女は引っ掛かったんだよ。なのにお前ときたら、俺のことをおっさんだと思ってるじゃないかよ」  生田係長の言葉に全く言い返せなかった。図星だったこともあるけど、突然の展開に頭がついていけなかった。  ――虚偽親告罪ってことは、え? じゃあ彼女は嘘の通報をしたってこと?  冷静に考えを集中させたところで、生田係長の話がやっと理解できた。 「いい加減にしてください!」  一段と声を張り上げた女の子がきつく睨んできた。でも、その瞳が微かに揺れているのがわかった。 「いい加減にするのは君の方だ」  それまでのふざけた態度とは一変して、生田係長が鋭い声を女の子に浴びせた。その顔は、まさに刑事が証拠を元に犯人に詰め寄るものだった。
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