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蘭丸は大きなため息をついた。
ねねに胸をときめかせたのが、馬鹿馬鹿しく感じられた。
「――あ、この泥棒猫! しっ、しっ!」
ねねが素早く小石を拾って物陰の方へ投げつけたが、振り返った蘭丸に猫の姿は見えなかった。
「姐さん、たまんねえ……」
ねねに拳骨を落とされた商人は、地面に倒れたまま満足そうにうめいていた。
その夜だった。
蘭丸は隣で寝ているねねの歯ぎしりの音がうるさくて、目覚めた。
布団から出て、ぼんやりとあぐらをかいていると妙な声が聞こえてきた。
――旦那あ……
艶かしさ漂う女の声であった。ねこなで声でもある。
――蘭丸の旦那あ……
その声ははっきりと蘭丸の名を呼んだ。
しかし、蘭丸はその声に聞き覚えがない。
旦那などと呼ばれる謂われもない。
ましてや、女の声は外からというわけではない。
蘭丸の脳に――
いや、心に直接響いてくるのだ。
――旦那あ、会いたいよう……
悶えるような、切なげな女の声。
男の煩悩を揺さぶる艶かしい声だ。
(今夜も魔物が出るか)
蘭丸は刀架の紅を手に取り、一度ねねの方に振り返った。
果たしてねねは、寝具の上でいびきをかいていた。
(なかなか楽しかったぞ)
蘭丸は苦笑して長屋の自室を出た。
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