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「旦那あ、女の気を引きたいなら、忘れちゃ駄目でやすよ」
女は楽しげに笑った。浅黒い肌に、長く白い髪。着物は白で、一見すると埋葬された死者のように見えなくもない。
そして整った美しい顔立ちをしている。華奢な体つきのねねとは違って、肉感的な肢体の美女であった。
「俺は覚えてない」
蘭丸はきっぱりと言った。
一刀両断、そのような形容の似合う言い方だった。
女は袖もとで目を隠した。
「おおお…… ひどい、ひどい、この男……」
女が泣いたふりをするのを、蘭丸は冷めた目で見ていた。
腰の妖刀、紅も緊張を解いている。危険はなさそうだが――
(この女は……)
蘭丸は女を観察する。月明かりに照らされた女は、夜が産み出した幻のように儚かった。
「黒夜叉でやすよ、旦那あ」
女は黒夜叉と名乗った。涙の跡はなかった。やはり嘘泣きだったのだ。
「黒夜叉……」
やはり蘭丸に覚えはなかった。
「でもまあいいや、旦那に会えたから」
言った瞬間、黒夜叉の瞳は深紅に輝いた。
その瞳の持つ魔力に当り、蘭丸は身動きが取れなくなった。
蛇ににらまれた蛙とは、この事か。
「な、何が望みだ……?」
蘭丸は冷や汗を浮かべながらも尚、黒夜叉を見据えている。
その眼光に恐れも迷いもなかった。
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