第一章 視線

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「ご店主、会計お願いします」 「はい。千二百円、ちょうどお預かりします。矢代さん、いつもご贔屓にありがとうございます」 「ご馳走さまでした。——また、明日」 「はいっ。また、明日」  〝また、明日〟。さて、始まりの明日。どこから、どう攻めようか。 「ありがとうございました!」  何も知らずに明るく送り出してくれる人に目礼し、外に出る。途端、足元から立ちのぼる熱気が全身を包んできて、俺の周囲は一気に別世界へと変わった。  もう一度、店内に戻りたい……。  が、そんなことは実際に出来るはずもなく、真昼の陽射しが白く照りつけるアスファルトの上で空を仰ぐ。 「暑いな。明日はじゅんさいと南高梅の冷やしぶっかけを注文するか」  ここひと月、俺のランチは蕎麦オンリー。頭の中は伊澄さんと『すみや』のメニューで埋め尽くされてる。  頭上に広がる蒼天に、白いポイントのように羊雲が点々と浮かぶ。ゆっくりと風に流されるそれを目で追い、夏空の中に伊澄さんの笑みを映し込んだ。  今、脳裏に浮かぶその笑みは、ギラギラとした真夏の熱線とは無縁。春の空の淡い透明感そのものだ。俺にとっては、唯一無二の大切な存在。  だが、明日はその透き通った優美に別の艶色も差し込ませてみることにしよう。  ただ、見つめるだけは——。視線を送るだけでは、もう物足りない。全然、足りない。飢えていると言ってもいい。  もっとあなたに近づきたい。あなたを俺の中に取り込み、離れていかないよう縛りつけたい。  貪欲で邪な欲求が、もう隠しきれないほどに膨らみきっているのだから。
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