秀次切腹

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するか伏見に来て弁明するかを命じている。  秀次は観念して慈悲を請うために伏見に向かったとされている。 別の記述にはこれと異なり、秀吉によって使者を命じられた比丘尼・孝蔵王が秀次を騙して、侍医や小姓種衆や僅かな供回りを連れて伏見に来るように謀ったとされ、もともと秀吉には直談判する意思はなく、おびき出すための謀略であった。 「おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは」 伏見に赴いた秀次は軽くあしらわれ 「ならばここで待たせてもらう。 秀吉近臣の者の取次に返事待ちで秀次は控えていたが 「太閤様は今何処におられるのか?」 問いに 「太閤様は今関白秀次殿には会わぬと言われている。」 高野山の秀次。 秀次は伏見城に到着したが、登城も拝謁も許されず、木下吉晴の邸宅に置かれた。上使に 「御対面及ばざる条、まず高野山に登山然るべし」 気の早い秀次は剃髪し僧衣の意を表せれば秀次の真意を汲み取って盛られると思い、意を決した。  だけ告げられた秀次は直ぐに剃髪染衣の姿になり、午後四時頃には伏見を出立した。 「我々、三人が同行し、太閤さまの次の指示を待つ。」 監視役に木下吉晴・羽田長門守・木食応其が同行した。
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