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れている。以降は豊臣の姓から豊禅閤と呼ばれるようにようになる。
秀次の妻妾公達らは、八日の晩に捕らえられて家臣の徳永寿昌宅に監禁され、監視役として前田玄以と田中吉政が付けられた。
前田玄以は豊臣政権の五大老の一人。田中吉政は秀次の宿老が監視役では尋常でないことが窺い知れる。
「前田、田中何故じゃ、余に何があったというのか」
「今は何も言えませぬ」
二人や周りも者は何も伝えない。
「余の、妻や子は」
「我々には知る所で話ありませぬ」
二日に丹波亀山城に移送された。さらに高野山の秀次に対して供廻りの人数や服装の指定、出入りの禁止と監視を指図され、監禁に近い状態になった。
「これでは余は、丸裸ではないか」
「太閤様の真意がわかりませぬ」
七月一三日、四条道場にて秀次の家老の白江成定が切腹。
摂津国の大門寺で木村重茲が斬首され、財産没収となった。重茲の妻子は一旦は法院の預かりになったが、後に三条河原で磔にされた。
更に、秀次の家臣殉死、隆西堂・山本主殿・不破万作・山田三十朗・雀部淡路守を配す。
秀次事件は断片的で不明瞭で、それだけ、事件の奥深さを物語っていた。
他の家臣については、一柳可遊は徳
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