秀次切腹

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川家康に、服部一忠は上杉景勝に、渡瀬繁詮は佐竹義宜に、明石則実は小早川隆景に、羽田長門守は堀秀政に、前野長康・景定親子は中村一氏に、それぞれ身柄を預けられた。  粟野秀用は自宅にて切腹。縁者である日比野下野守と山口小雲は北野で、丸毛不心斎は相国寺で切腹。吉田修理は逃亡した。 木下吉隆・荒木元清は遠島になった。  七月一五日、高野山に福島正則・池田秀雄・福原長堯の三名の検使が兵を率いて現れ秀次に賜死の命令が下った。 「秀次殿、太閤さまより謀反の疑いあって、賜死の沙汰が下された」 「何故、余が謀反をしなければならないのか」 「御切腹を」 「何故殿が切腹せねばならぬのか」 秀次の家臣が食い下がる。 「何卒。赦免をお伝え申す」 「えい、ならぬ太閤殿下のお達しだ。」  所が、木食応其が仏教寺院内では寺法により無縁の原理が認めらえており罪人すら保護されていると抗議した。 「ここは、弘法大師様の聖なる所、血を見ることは仏法に反するもの控えてもらいたい」 高野山僧侶木食が秀次の助命に必死に動く。  木食応其は衆徒と対応すると言って引き延ばし、切腹を何とか阻止しようと食い下がったので、衆徒と一触即発の事態となる。 「
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