雀のお宿

4/9
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 夫婦の、といっても部屋はゴルフバッグや雑誌など夫の持ち物に占領されています。私のものといったら嫁入り道具の鏡台くらい。そのスツールに腰を下ろして鏡をのぞくと、寝不足で目の下はたるみ、髪はぼさぼさ、長女の着なくなったTシャツを着ている中年女が、いかにも窮屈そうで、いじましいのでした。  若い時から胸が大きかった私は、娘の頃はピッタリしたものを身に着けるのが恥ずかしいものでした。ところがいつからでしょうか、そんなことは気にならなくなった。娘たちが飽きて捨てた物をもったいないと拾って家着にしていますが、どれも私にはサイズが小さくてぴたぴたです。それを見ていると、又空気が、しゅう~っと抜けていく。 と同時に、私のおっぱいは私のものでしょ、それもそうだ、という考えが、ふと、湧き上がってきました。  ティシャツを脱ぎ捨てて、つくづくと自分の体を鏡に映しました。47歳になった今では、胸どころか、お腹にも背中にもタップリ肉が付いて、バストとお腹の境目はブラジャーをしていてかろうじて判る。ブラジャーはスーパーで買った580円のもの。それはブラジャーというよりは「乳あて」というのがふさわしい中途半端なベージュ。はずすと死んだタコの頭のようなおっぱいが、ボヨ~ンと広がりました。夫は大きな胸に執着する質で「でかい乳」も結婚した理由の一つだと公言してはばかりませんでした。今では「おまえもレッキとしたおばさん体形だな、はっはっはっ」などと人の着替えを、こっそり見て、見ないふりしていますが。 「ずいぶんイラわれたわ、我が物顔で」 若い頃コトワリもなく弄ばせたことが、なんとも悔しく思われてきました。夫といえども「触ってもよろしいですか」くらい訊くのが筋ではないでしょうか、三度に一度くらいは。 夫に散々イラわれた時期を過ぎると、今度は赤ん坊が次々これに吸い付きました。 三人の娘は皆、母乳で育てたのです。おかげで、淡い砂糖菓子のようであった乳首もアサマシイことになった。実家の母も姑も「子供には母乳が良い」と声をそろえて言っていたものです。 (ふん!自分は粉ミルクで育てたくせしてっ) 私はみすぼらしく伸びたベージュのブラジャーを拾い、ビタンッと音がするほど壁に投げつけると、その辺につくねてあった夫のゴルフシャツをスポリとかブリ、音を立てて部屋のから出て、怯えている娘たちの前を素通りして玄関から表に出てゆきました。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!