雀のお宿

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 鮎のゼリーは甘酸っぱいサイダーの味でした。舌に残った甘みを熱い煎茶で流し込むと、再び何処からか「しゅう~っ」と空気が抜けていく。しかし勢いはもうなくなって、慣性の法則で抜けていくような穏やかさです。庭側のガラスの引き戸は一枚開いていて夜の竹薮が見渡せます。風が竹薮を揺らし、ざわざわ、さらさら、という笹擦れの音、かかか、こここ、という、竹がたわむ音だけがしています。 おじいさんは眠ってしまったのか目を閉じたまま動きません。75歳の私の父より十は上に見えます。ほとんど禿げた頭に五分刈りらしい白髪が少し残り、前たてに「高橋造園」と染め抜きのある「しるし半纏」を肩にかけていました。「懐かしいわ、亡くなった祖父が下町で木工所を営んでいて、そういう印半纏を着た写真が残っているんです」おじいさんは聴いているのかいないのか目を閉じたままびくともしない。 いまどき珍しいボンボン時計のカチコチを聞きながら、動かないおじいさんの姿を見ていると、今度は、「成仏」と言う言葉がぽっと頭に浮かび、私は残りのお菓子をあわてて飲み込みました。 「高橋さん?」 呼びかけてみると、薄目をゆっくり開けて 「たけのこ、好きか」 と言ったようでした。 その「たけのこ」と言うのを聞いて、 私は又、心がざわつくことを思い出した。 それは先週でした。「特売300円」の札の貼られた筍がスーパーで買い物をしていた私の目を捉えました。30センチ程にも育ったそれはいかにも大きい。5月も半ばの今では筍は旬を過ぎています。だからこそ安く売られているのでしょう。走りの筍は1000円位します。五人家族の我が家では、ご飯に炊き込むにも二つは要る。毎月やっとヤリクリしている我が家にとっては筍なんぞ贅沢品です。しかし、秋のマツタケは無理にしても、春の筍ご飯くらい食べさせてやりたい、その切ない気もちが私に300円の筍を手にとらせたのでした。  大きな筍は茹でるにも鍋に入らず、生のまま半分に切るのは一仕事でした。エグミを取るために五回も水にさらしたので香りは多少流れてしまったようでした。それに根方の部分はほとんど竹になってしまっていたので使えず、足りない分はアブラゲを刻んで入れたのです。その苦心の結果、夕飯に出した筍ご飯について、夫や娘たちときたら、酷かった。カタいだの、香りが無いだの、アブラゲが入っているところが田舎臭いなどと。作り手に対する感謝も思いやりも無い。事情を察する想像力もない。ことに腹の立つのは夫の言い草でした。
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