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結婚を初めて考える
小百合は、親と話をしたことが、あまり無かった。
母は、人の噂で、自分が頭に来ると、すぐ手をあげる人だった。
あとで、早百合が悪くないということが解っても、「あら、そうだったの」あはは…
そういう人だった。
スーパーで、働いていた母は、その働きぶりが
認められてなのか、海産物問屋の店長として、仕事が変わった。
私が大学受験に失敗し、滑り止めの大学に逝く頃は、収入も上がり生活は、少し楽になったみたいだった。
しかし、仕事が終わると、パチンコ。
帰りはいつも12時くらいで、家事を一切しないので家の中は、大変なことになっていた。
小百合が大学に入って一ヶ月、母が生活費を、送ってくれなくなった。
小百合は、大学の近くのスーパーマーケットでアルバイトをしてた。まだ給料は出ていなかった。
母に電話を入れると、「お金なんか送らないよ!大学にいれてやったしょ!生活費、後期の授業料は、アルバイトで、どうにかしなさい!」
小百合は困った。
寮の中で、電気代、水道代払ってないのは、私だけだ。
恥ずかしくて、どうしようもなかった。
小百合はアルバイトを、増やしてジンギスカン屋でも働いた。
札幌は広い。都会だ。
やっと母から、解放されたのに、生活費を学生の分際で、捻出しなければならないとは、思わなかった。
寮にも居られなくなり、安いアパートに、移った。
トイレは共同、お風呂は大屋さんで、週三回はいれるところだ。
もう、寮の門限に縛られなくなり、思う存分働けた。
洋服も買えるようになった。
札幌は楽しい。
歩いているだけで、いろんなものが視れる。しかも安い!
その頃、DISCOが全盛期だった小百合もはまった。
お酒は飲まないから、ただひたすら踊っていた。
ダンスを覚えたのは、神戸くんの影響だった。
彼は決して良い男じゃないけど、ダンスはピカイチだった。
アパートに移ることで、神戸くんが会いに来てくれるのでは無いかという、微かな期待もしていた。しかし、彼は社会人。
中々遠距離になったし、年に一度くらいだ。
初めての、経験も、神戸くんだった。
小百合にとって、彼は特別の人だった。
DISCOで、踊っていると、そのバンドが、北海道一の大学のバンドだった。
小百合は、DISCOにはまって週末は、必ず行っていた、
働きながら、遊んでもいたのだ。
学校は、出席と論文だけ出していたら、なんとかなった。
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