第三幕 忘れ物は何処に

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 腹に脂肪を蓄えた丸い男が、椿柄の扇子を揺らしながら、大層機嫌が良さげにがははと大口を開けている。 「いやあ、倶楽部様様ですなあ!どこの団体も言っとりますよ、お陰で随分と仕事が楽になりましたってね!」 「いえいえそんな。うちは添えるだけの商売ですから」  ハハハ、と乾いた笑いで謙遜するのは佐藤。対するは、参議院の議員にして革新主義団体“砂塵の会”の代表である。  烏都中心街、大通りに面した一等地に佇む三階建てビル。表向きは議員の事務所を装っているが、その実、砂塵の会の本部として運営されている。従業員から秘書に至るまで、このビルに勤める人間は全てが会の構成員だ。  最上階の一室。次の作戦の打ち合わせがしたいと呼び出しを受けた佐藤は、かれこれ一時間はこの部屋に居るのだが、なかなか本題まで話が進まない。代表は、やれどこのカフェの女給が色っぽいだの、どこの菓子が美味いだのと世間話をべらべら囀ってばかり。  嗚呼、とても帰りたい。帰って大岳と珈琲片手に雑談を交わしたい、と佐藤は最早心ここに在らず。相槌も次第にぞんざいと化してくる。 「佐藤センセが居て下さる時分が一番安心出来ますよ、いやホント、普段はいつ特公に見つかるか気が気じゃないですからね、我々は!」 「あまりあてにされても。私は戦闘が得意ではないので」  代表は、机に置かれた茶をずずと啜って、それからにかりと歯を剥いて笑い、「またまたご冗談を」と言った。 「私が何度センセに救われたと思っているんです」  佐藤は「はあ」と生返事。  嬉々としてその様な事を言われても、事実佐藤は対特公方面に関して言えば、木偶の坊の座に甘んじている。決して運動能力が他の倶楽部員より劣っているという事ではない。ただ、佐藤は何も特公に恨み辛みがあって倶楽部への参加を決心したわけではないので、それが自身の一等大事な核に踏み込んで来さえしなければ、牙を剥くこともあるまいと考えているのだ。  本気でこの国を憂い、どうにか変化をもたらそうと活動している倶楽部員や、目の前の男には決して開かせぬ不純な動機である事は、本人とて重々承知している。  無論、任務として命令が下った場合、話は別であるが。 「ところで」  いい加減痺れを切らした佐藤が、相変わらずぱたぱたと扇子の忙しない代表へ本題を持ち掛ける。 「手紙にありました次についてのお話ですが――」  その時、ノックもせずに入口の扉がばたりと開いて、血相を変えた秘書の男が慌ただしく部屋の中へ飛び込んできた。 「失礼致します!」 「何事だ、騒々しい。大事な話の最中だぞ」  これまでのどこに大事の要素があったと言うのか、佐藤は甚だ説明して貰いたい心持ちに満たされたが、秘書の面相からして余程の一大事であるらしい事は明白。 「何かあったのですか」  佐藤が尋ねると、秘書は切願の眼差しで訴えた。 「特公です、下に特公が来ています!」  代表が「何ィ!?」とソファを蹴飛ばす勢いで立ち上がる。 「さ、佐藤センセ!」 「落ち着いて下さい。倶楽部へ応援要請を出します」  佐藤はすかさず窓へ寄って、ブラインドの合間から地上を覗いた。そして瞠目する。  ビルの手前を占拠し、バタバタと忙しなく駆け回る兵士の群れが、数え切れんばかりに見て取れた。  耳の裏側に嵌め込んでいる小型の通信機へ手を置く。 「佐藤です。座標K4、砂塵の会本部ビルに特公が現れました。数は特定出来ず。至急応援を要請します」  少ししてザザ、とノイズが走り、砂混じりのような不鮮明な幸田の声が返った。 『本部幸田だ。佐藤、K21に居る四人を向かわせた。到着までおよそ十五分。死ぬ気で持ち堪えろ。……それから、四人の中には堀口も居るが、面子を鑑みるに外す事は出来ん。いいな』 「……はい」 『健闘を祈る』  ぶつりと通信が途絶えた。  佐藤は、歯噛みする。  嗚呼、何と悪趣味な日であろうか。
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