第一幕 自由への反逆

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 東都地区特別指定区画烏都(うつ)。東京、大阪に次ぐ第三の都市と呼ばれるこの街は、北東西の三方を小高い山に囲われ、山越えを回避出来るルートと言えば南のみという、どちらかというと閉鎖的な街だ。にも関わらず、中心部は人で溢れ、立派な建物が並ぶ。その中でも一際賑わうのが、街のメインストリートである。路面電車や馬車、自動車が往来し、大型の百貨店や洒落たカフェが軒を連ねる。  第一高等学校はその中心部のはずれにあった。誘惑は足を延ばせば目の前で、やはり制服を着た若者があちらこちらをうろついている。  君武と吾子はこの大通りが通学路であり、学校から自宅までは徒歩でおよそ三十分の道のりだ。  ショーウィンドウの中に飾られた赤いワンピースに見惚れる吾子を置いて、君武がすたすたと前進すれば、「待ってよ~」と少女は後を追ってくる。 「ちょっとくらい見たっていいじゃん」 「どうせ買わないだろ」 「買わなくても楽しいの」  隣に並ぶつれない幼馴染に、吾子は唇を尖らせる。 「そういうのわかんない?」 「うーん、本屋ならわかるかも。立ち読みできるし」 「ええ、本屋ぁ?」  吾子の成績は学年トップクラス。しかし、読書はほとんどしない。書店は参考書を購入する為に利用するのみで、どうやら君武とは意見が食い違うらしい。 「ほんとに君武は本ばっか読んでるよね。面白い?」 「面白いよ。吾子も読む?」 「読まないよ。だって君武が読んでるのってあれでしょ、禁止図書でしょ」  禁止図書――それは本来扱ってはならない、“国の検閲を受けずに自費出版された図書”の事である。  現在この国では創作物には検閲が義務付けられているが、これに引っかかれば、問題箇所の削除や修正、または販売停止等の措置が取られる。つまり情報の全てが政府によって監視・管理され、そこに作り手の自由などないわけだ。しかし、一部の人間は独自のルートを使って、検閲逃れの作品を売り出している。それは本来重罪であり、故に関わる者達は革新主義や反政府主義と呼ばれ、特公警察に追われている。  君武と吾子も、街中で数度、その逮捕劇に出くわしたことがあった。どの反政府主義者も必死で抵抗し、逃走を試みようとするが、特公の武力を前にして逃げおおせる人間など皆無に等しかった。  情報統制によってあくまでも噂の域を出ないが、特公に捕縛された後、その牢獄から帰還を果たした者はない。一度捕まれば、待っているのは厳しい拷問の末の死のみだという。  ただ君武はそれが噂ではなく、真実であるという事を知っていた。禁止図書には例えばそういった政府がひた隠しにしている事実までもが、一切嘘偽りなく書き記してあるのだ。 「今日読んでたのはどんな本なの?」  吾子は小声になって問う。  君武もそれに倣って、辛うじて隣人にのみ聞こえる程度の声で応じる。 「前途ある若者よ、社会に抗えって感じの本」 「ふーん。また難しそうなの読んでるんだね。どんな人が書いてるの?」 「志賀直也って人」  暫くの沈黙が下りて、吾子が怪訝に眉を顰めた。 「……それだけ?」 「うん」 「じゃなくて、人となりとか」 「さあ」 「さあって」 「禁止図書を書いてる人は基本的に名前以外謎だから。まあ、その名前すら偽名だろうけど」 「やっぱり素性隠さなきゃいけないくらい危ないんだ」 「そりゃあそうだよ。でも情報操作された一般の本を読んでるよりずっとまし」 「そうなのかなあ。私は読書なんて一般の本で十分だと思うけど。だって読むだけでも危ないんでしょ」 「まあ、そうだね」 「ねえ、君武――」 吾子が立ち止る。 気付いた君武も足を止めて、背後を振り返る。 「私、心配だよ。あんたの唯一の趣味だから口出したくないけど、でも、やっぱり危ない事はしてほしくない。もしどっかで保守主義の連中なんかに読んでることばれたら、特公に捕まることになるんだよ。そんなことになったら、私……」  君武は俯く吾子の傍に寄り、懸念を払拭するように優しく手を握った。 「大丈夫だよ、吾子。そんなことにはならない、今までだって平気だっただろ?上手くやるから」 「でも」 「こればっかりは譲れないんだ。だから本当は吾子にも関わってほしくないんだよ。俺といると危ないから」  口調こそ柔らかなものであるが、そこには頑として何人たりとも踏み込ませない、彼の信念ともとれる硬い意志があった。無粋な事をすれば、あるのは拒絶だ。  吾子はちらりと上目で君武の顔を覗き、それが冗談ではないことを悟ると、黙って頷いた。 「心配してくれてありがとう、吾子」 「うん」 「じゃあ、この話はこれでお終い。こんな会話保守派に聞かれたら、それこそ監獄行きだ」 「君武」  吾子は呼び止めようとするが、君武は一歩身を引いた。 「ごめん吾子。いつものとこ寄るから、この辺で別れよう。夕飯には間に合うように帰るから」 「……うん」  吾子は頷くしかない。  君武は「じゃあ」と踵を返して、いつもの曲がり角を過ぎ、真っ直ぐ大通りの先へと歩いて行った。  遠ざかる背中が、このような話をした後だからだろう、嫌に心細く見えて、吾子はただ彼の無事を祈るしかないのだと、小さな声で名前を呟いた。
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