第二幕 馬鹿と阿呆と変態と

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 そもそも文豪倶楽部とは何なのか――というところから話は始まる。  表を生きる人間にはあまり知られていないが、反政府を掲げる組織は大規模な所を軽く見積もっても三十を数える。その他個人で活動している小さな組織も合わせれば、優に百を超えるであろう。その多くは集会を開き、同志を募ったり、突発的なデモを行ったり、道端でビラを撒いたりと、政府を転覆させる為に数々の行動を起こしている。中でも超過激派と呼ばれるのが、”青葉の集い”、”砂塵の会”、”文豪倶楽部”の三組織である。”青葉の集い”、”砂塵の会”は、政府要人の襲撃や、政府用施設への攻撃などを主な活動としているが、“文豪倶楽部”は対特公を謳う唯一の団体として、界隈では広く名が知られていた。  特公は反政府勢力を沈静化させる為に政府が考案した特別武装警察だ。圧倒的な戦力で、これまでに幾つもの組織が壊滅へと追い込まれた。最もその存在を世に知らしめたのが、七年前に起こった“永鶴神社騒乱事件”。多数の反政府主義者が組織の垣根を越えて一堂に会していた集会に特公が攻め入り、死者十三名、捕縛者八十九名を出した大事件である。無論、特公側に被害は無かった。以来特公は人々の間で恐怖の対象として扱われ、政府の目論見通り、抵抗運動は鎮火の一途を辿っていった。そんな時分に突如として現れたのが、文豪倶楽部であった。  対特公を掲げるなど死にたがりにも程があると、当初は揶揄されたものだが、一度成果を挙げればそれが瞬く間に噂となり広がり、どこもかしこもこぞって庇護を求める声で溢れた。倶楽部は多くの団体と協力関係を築き、その警護を請け負う代わりに、支援金という形で報酬を受け取っている。  そうして一度は消沈しつつあった反政府勢力は再び活性化し、かつての勢いを凌ぐ程に成長している。倶楽部の功績は多大であると称賛は鳴り止まないが、その反面、人の範疇を超えたような戦闘能力を有する倶楽部の面々に、疑問視の声も少なからず上がっていた。特別な訓練を受けた精鋭を集めている――ということで話を通しているが、無論、裏はある。 「Anima因子?」  聞き慣れない単語に由季夫は首を傾げた。  先導する志賀が、頷く。 「そう。それが俺たちの人間離れの秘密」  BIG4への謁見を済ませた二人は、一階にある談話室へと向かっていた。その短い道中で志賀は倶楽部の概要と、これから由季夫が受けることになるとある処置についての話をしている。 「まあ詳しいことは後で森先生が説明してくれる。準備に少し時間がかかるから、それまでは本部の中を見て回っておくといい。それと、新人の君には指導係が付くから、ここからの案内はそいつに引き継ぐ」 「指導係……志賀さんじゃないんですか?」  あからさまに不安げな顔を覗かせた由季夫に、志賀がにやにやと笑う。 「何だよ、俺が良かったの?」 「まあ……慣れてますし」 「可愛げのない言い方だな」 「そんなの求めないで下さい」 「まあいいや。残念ながら俺は色々忙しくてな、今は誰かを指導している余裕がないんだ。けど、代わりを頼んだ奴も実力は申し分ないし、社交的だからすぐに慣れる。だからそんな深刻そうな顔するな」  志賀はもさもさと、由季夫の頭を撫でた。 「やめて下さい」  由季夫は鬱陶し気に手を払う。志賀は「わはは」と愉快げに笑っている。  不器用な言い方をしたが、由季夫は心底その指導係とやらが志賀でなくて落胆した。無論言葉の通り、慣れているというのもある。人見知りの由季夫にとって、これから大いに関わることになるであろうその相手が、既に気を許せる人物かそうでないかは重要な問題だ。しかしそれよりも、由季夫にとってはやはり憧れの対象であるこの志賀直也という存在と、もう少し親密になりたかったというのが、正直なところである。  階段を降り終わると正面に玄関、その左隣にある部屋がどうやら目的の場所のようであった。  志賀がドアノブに手を掛け、扉を押して、中に向かって呼び掛けた。 「竜雄居るか」 「はい」という返事と共に、見覚えのある顔がやって来る。熊の着ぐるみの男、堀竜雄だ。今度はシャツにカーディガンを羽織った見た目相応の格好をしている。 「さっき名前だけ教えたと思うが、改めて俺の甥弟子の堀竜雄だ」 「堀です。先刻は驚かせてしまってごめんね。それに色々不甲斐ない所も……」 「いえ、そんな」  極まりが悪そうに眉を下げる堀に、由季夫はかぶりを振った。引っかかっていないわけではないが、自分も大袈裟に驚きすぎたと今になってみれば少しだけ思うのだ。 「君の指導は堀に担当してもらう。何故こいつなのかと思うかもしれんが、他に程よく手の空いている奴が居なくてな。悪いが我慢してくれ」 「ちょっと直先生」  志賀の悪態に、堀は不服を唱える。 「じゃあ、俺は森先生の手伝いに行くから、後のことは頼んだ」  これ以上の文句が続く前にと、志賀は堀の肩を叩いてそう言い残し、さっさと踵を返して廊下の先へと歩いて行った。  由季夫がその背中を見送る間も、堀は不満げに「もう、ほんと一言多い」とぷりぷりしていた。 「ところで」  気を取り直して堀が言う。 「筆名はもう決まったのかな?」 「あ、はい。三島由季夫と言います」 「三島由季夫、いい名前だね」 「そう、でしょうか」  由季夫は俯いた。やはりまだ筆名を名乗るのは慣れない上に、気恥ずかしい。それを悟ってか、堀は「すぐに慣れるよ」と笑って、由季夫を談話室の中に招き入れた。  壁には絵画が掛けられ、窓には高そうな真紅のカーテン、天井からは玄関ホールで見た物よりも少しばかり豪勢なシャンデリアが吊られている。奥の壁際には暖炉が見える。薪はくべられているが、火は入れられていない。冬になったら使うのだろうか、と由季夫は考えた。部屋の中央には四人掛けと二人掛けのソファが二つずつ、机を囲むようにして置かれている。そのうちの隣り合う二つに、三人の男が座っていた。  堀が「少し良いですか」と会話に割って入り、由季夫を紹介する。 「今日から入会することになった三島由季夫君です」 「宜しくお願いします」と由季夫が頭を下げると、一人が朗らかな声で「宜しくね」と応えた。 「俺は堀口大岳。こっちは佐藤晴男と中原中哉。君のことは噂で聞いていたよ」  堀口は若い見た目にそぐわぬ白髪に涼し気な顔立ちの好青年、佐藤はスポーツマンのようなしっかりとした体格を持つ凛々しい印象の青年、中原は吊り上がった大きな瞳に全身真っ黒な服が特徴的な青年である。 「堀さんが指導担当就くってマジだったんすね」  中原が半笑いで言った。 「ちゃんと指導出来んのか」  佐藤が真面目な顔をして言う。 「出来ますよ、僕だってもう入会して一年経つんですから。見ていて下さい、まずはこの中で一番後輩の中原君を軽く凌駕する子に育ててみせますから」  堀の啖呵に、佐藤が「ほう」と目を細める。 「言ったな堀。中原は大岳の指導を受けているんだぞ」 「どんなもんになるか、お手並み拝見すね」  中原の鋭い視線が由季夫を捉える。完全に飛び火だと、由季夫は顔を背けた。  堀は息巻いているが、由季夫は正直な所、抗うための力を手に入れたいだけで、”ここで一番になりたい”や、”誰かと争って強くなりたい”などという向上心は一切持ち合わせていない。これは面倒な人物と関わることになったと思った矢先、言い合いを傍観していた堀口が「こらこら」と三人を嗜めた。 「由季夫君には由季夫君のやり方やペースがある。指導担当はあくまでその子がこの世界に慣れるまでの手伝いをするだけで、どういう風になりなさいと口を出すのは違うよ。教育ではなく指導であることを忘れてはいけない。勿論、本人たっての希望があれば、稽古をつけてあげたりはしてもいいと思うけれどね」  堀口の言葉に、堀は背筋を正した。 「ご助言、痛み入ります」 「大したことじゃないけれども」 「そんなことないです」  堀はぶんぶんと頭を振る。  中原は「俺ほんっと先生の教え子でよかったです」と感涙して堀口の手を握っている。佐藤もうんうんと頷いているが、彼に対しては唯一堀口は困った顔だ。 「晴男は感心してちゃいけないと思うけど」 「む、ごもっとも……」  佐藤は眉を顰める。 「まあ何にせよ、竜雄君もこれが初の担当なわけだから、あまり気負わずに分からない事があったら周りに頼るといい。由季夫君もね」 「はい」 「有難うございます」  二人の素直な返事に、堀口はにこりと微笑んだ。
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