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スチール缶に結露した水蒸気が指を濡らす。
このままでは本当に、後輩に支払わせる絵図が完成してしまう。自分がいま持っている百何十円を渡せば解決するのかもしれないが、受け取ってもらえる気はしない。
「このこと、覚えとくからな」
「はい?」
「いつか俺にも買わせるんだよ?」
「あ。ありがとうございます」
これで解散になりそうな雰囲気だが、このまま別れるのも惜しくなる。せっかくの機会を易々と逃したくはない。
伊織は自分の顔を指差した。
「こいつは三年E組、錦見伊織。名前くらいは交換しようぜ」
すると一年生はかしこまって、浅く腰を折りながら名乗った。
「あ、一年C組、木内知世です」
頭の中でその名前を一度復唱して、恥ずかしながらも口先に運んでみる。
「俺、木内君のことずっと気になってたんだよね」
「え?」
「あっなんかめっちゃストーカー発言みたいだったけど違うからね!? いつもブラック買ってたから、それがすごく印象的で……」
必死に弁解を試みると、知世は面食らった表情を少し和らげた。
「ああ……コーヒーはブラックじゃないと飲めないんですよ」
「マジか、すげえ。俺は苦いのダメなんだよなぁ」
「むしろ甘いと飲めなくて」
甘いものが好きな男は大勢いると思っていたが、ここまで甘味を拒む人には出会ったことがなかった。
驚きながら互いの真逆さを認知すると、ここで知世が初めて破顔した。
きれいに並んだ歯を覗かせて笑った表情が、静止画のように脳内に焼きついた。
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