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「一年の時ね、秋くらいなんだけど、」
「おう」
「あ、正確には十月中頃のちょうど四限が終わった後の二階の渡り廊下で」
「お、おう…?」
「俺は先生に頼まれて授業で使ったプリント運んでたんだ。職員室まで行く途中でね」
「ほう。えらいな」
「ありがと。好き。で、すれ違った集団とぶつかって数枚落としちゃったんだよね。すれ違った人達は俺に気づくと慌てて逃げていっちゃったんだけど、その後きみが来てね、」
「お、おう…」
そんなことあったか…?全っ然覚えてない。どさくさに紛れて何か聞こえた気がするが話が進まないのでそこは華麗にスルーだ。
「それで、俺が落としたプリント拾って、そのまま何事も無かったように去ってっちゃったんだよきみは」
「え、それだけ?」
普通じゃね?今の話のどこに特別な要素があるんだろう。
そう思ったが、彼にとってはそうではなかったようだ。
その時のことを思い出しているのだろう彼は少し恥ずかしそうに、しかしとても嬉しそうに目を細めてふふっと柔らかく微笑んだ。
きらきらと、眩しい。
「そう、それだけ。それだけだよ。きみはまじまじと観察するでもなく、頬を赤らめるでもなく、本当に何でもなかったみたいに去って行っちゃったんだ。…そんな人、初めてだった。俺を映す瞳には本当に何の色も感じられなくて、何ていうかすごく…どきどきした。興味の欠片もない、本当に群集の一人に向けるみたいな瞳で。でも一瞬だけ見えたその瞳は、今まで見たこともないくらい澄んでいて綺麗だった。あの瞬間に落ちちゃったんだよね」
「え、落ち、…え?」
「俺もモブの中の一人っていうかさ、普通に普通の人間なんだって思えた。その時初めて、自分が普通なんだと思えたんだよ。そうしたらすごく安心して、楽になった。生まれた時からずうっと普通じゃない、おかしいって言われ続けてきて、別にどうでもいいと思ってたんだけど…でも、」
「…でも?」
「普通にしてもらえるってこんなに安心できるものだったんだね」
そう言って白石くんは少し俯き、懐かしむように微笑みながらゆっくりと瞬きをした。彼が下を向くと、長く白い睫毛が綺麗な瞳を覆って隠してしまった。
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