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「先生。今日は、大した歩いたねえ」
「うん――。秋風が立って、大分過ごしやすくなってきたからな」
薄田勇二郎は、大きな柳の木陰に腰を下ろして汗をぬぐい、おみよの差し出す竹筒の水を、一口飲んだ。
川風が、心地良い。
ここへ移ってきたばかりの頃は、家から僅か一町ばかりの、この場所までたどり着くのも、一苦労だった。
今では、はるか先まで行けるようになったし、わざわざこんな近場で息を整えなくとも、家まで歩き通せるつもりだが、ここは夏の間も大柳が涼しい日陰を作っており、その根方には、腰を下ろすのにちょうど具合の良い大きな石もあって、なんとなくここで休息を取るのが習慣のようになっていた。
「褒美に今日の晩飯は、うんと旨いものば作ってやっからな」
「……おみよの作る飯は、いつも旨いよ」
おみよは、ちょっと得意げに鼻をうごめかし、はにかむように笑った。
出会った時には、怯えた小動物のような顔をして、ほとんど感情を表すことの無かったおみよが、最近は、年相応の笑顔を見せるようになった。
良かったと、思う。
それと同時に、いつまでもこの娘に、こんなことをさせておくわけにはゆかぬ――とも思う。
自分がここまで回復できたのは、間違いなくおみよのお陰だろう。
しかし、元々おみよは、自分とは全く縁もゆかりも無い娘なのだ。
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