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光を反射し、きらきらと水晶の様に輝く水面。覗き込めば、私の顔ではなくて湖底が見える。大小様々な石や、ふわふわと揺れる柔らかな藻の類の間を、小さな魚が泳いでいく。
「禊は終わったか?」
背中にぶつけられる粗野な声に振り返れば、山鯨の皮を身に着けた髭面の大男。私たちの村の長。
「ええ。この美しい水に清められました」
私は微笑んだ。この後、ここに飛び込ませられるのに、清めも何も無いだろうと思いながら。
人柱。生贄。人身御供。言い方は色々ある。だけどその実は体の良い人減らしだったり、厄介者払いだったりする。不作だなんだって、そんなの自然の気まぐれで、命を捧げたからってどうなるわけでもないのに。
でも私は志願した。どうしても、したかったのだ。
夜、無数に灯る松明のぼやけた光の中、私は純白に身を包み、ちゃぷり、と足を浸ける。
水は温く、まるで人の肌のよう。
「ありがとう」
群衆の中から微かな声が聞こえた。親だったのかもしれない。それでも私は、振り返る事無く、じゃぶじゃぶ、と進んで行く。
そしてついに、とぷん、と静寂。耳の奥で、水の息吹を感じる。体の穴という穴から水は入り込み、私と一体になっていく……
ああ、これでやっと。
翌日。村は類を見ない大雨に見舞われ、綺麗だった池は茶褐色に濁れ溢れ出た。
あっという間に村は飲み込まれ、何も、木、一本残さずに泥地となった。
そこに立つ、一人の美しい娘。悲しみと喜びが入り混じった、複雑な表情をしている。
「私はこの村が嫌いだった。古い因習に縛られてる村が。でもそれとともに好きでもあった。あったかい隣人に、優しい小鳥の囀り……」
娘はしゃがみ込み、ぴちぴちと跳ねる小魚を撫でる。
「私を惑わす相反するこの想いを終わらせたかった。全てを、私の手で、無くしたかった」
憎くて大好きだった故に、壊したかった。
「だから私は、水神になったの」
そして娘はこの地を、美しい池を自らのものにして生きていく。邪魔なものなどいない、自分だけの地として。
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