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第一章 眉月 (まゆつき) ~成長~
電車を降りると、ひんやりした空気が
頬を撫でた。
それは夏の終わりを告げるようで
平井葵(ひらい あおい)は、速足で
坂道を歩き出す。
太めのウォッシュ加工された
デニムのパンツが、ユラユラと
足元に絡んだ。
スマホに繋いだヘッドホンからは
お気に入りの曲が流れている。
「週末、姉ちゃんの店に行かない?
新作ができたって」
そう連絡がきたのは、先週の月曜日。
親友の金澤杏果(かなざわ ももか)の姉
梨果(りか)は、洋食のお店
『ティンカーベル』を夫婦で経営していた。
杏果の母は、杏果を産んで
間もなくして、突然亡くなり
二人は、父と祖母に育てられた。
そういった経緯もあって
梨果は、十も年が離れた妹の杏果を
とても可愛がっていた。
仕事をしながらも
杏果の様子をみれるようにと開いたお店の
新作メニューは、いつも真っ先に
杏果に食べさせるのが恒例だ。
その新作の試食には
葵も、何度か呼ばれていた。
でも、今回は久しぶりのことで
葵が『ティンカーベル』に訪れるのは
数ヶ月ぶりになる。
先日まで、大学の試験とアルバイトに
追われる毎日を過ごしていた葵は
二つ返事で承諾した。
店に向かう坂道は急勾配ではないものの
ゆったりと、のぼることになる。
店に着く頃には
葵の息も上がっていた。
息を整えて店のドアを開けると
葵の頭上でドアベルが
心地いい金属音を奏でた。
「いらっしゃい」
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