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第一章 黒い森の宿屋
深い深い森の中。木々は雄々しく枝葉を広げ、黒い影となって佇んでいる。辺りには濃厚な緑の匂いが満ちていた。
枝葉の隙間から、わずかな日差しが差し込んでいる。
木の根元に寝転んでいたカレンは、おもむろにまぶたを動かした。
彼女が身じろぎすると、背中まである鳶色の髪が揺れる。身に着けていた茶色いマントが、しわを作った。
「う……ん……」
ぼうっとした頭で、カレンは考える。
ここはどこだっけ。なぜ森にいるんだろう。
ああそうだ、自分は彼と共に、あてどない旅をしていたのだった。
ぼうっと緑の風景を見ていると、自分の上に影が落ちるのが分かった。
「よく眠れたかい?」
見上げれば、背の高い青年が立ったままこちらを覗き込んでいた。
長めの金髪を後ろで一つに結び、つばのある緑の帽子をかぶっている。帽子と同じ緑のマントを羽織り、その背に弓と矢筒を背負っていた。
「そろそろ出かけるよ。準備をして」
「持ち物なんてこれしかないわ」
カレンはすかさず返した。
青年――エヴァンとは、一週間前にこの森で出会った。
いいや、本当は再会したのだけれど、彼はそれをすべて忘れてしまっていた。
カレンはその原因を知っているけれど、口に出す気はない。
彼女には彼女なりの目的があるのだ。
エヴァンは以前と何も変わらない。誰にでも優しく、相変わらずのお人好しだ。
自分にだって、穏やかな笑顔を向けてくれる。
それが正しいと思うのに、彼が温かい言葉をかけてくるたび、カレンはどういう訳か、刺々しい態度を取ってしまうのだった。
エヴァンはこちらを見下ろし、どこか困ったような微笑みを浮かべている。
「どうかしたの? 悪い夢でも見た?」
「別に。なんでもないわ」
「ならいいんだけど。もしかしてまだ、僕を信用してない?」
穏やかに言う男を、カレンはちらりと見やる。
実際のところ、どれだけ会話をかわそうが、この男は未だ理解できない部分があった。
そういう意味では、確かにまだ信用できていない。
「そうね。わたし、あなたのことまだ理解できないわ」
「そうか、困ったなぁ」
そう言って笑うと、たいして気にした風もなく、彼は歩き出す。
「まあいいさ。一緒に過ごしているうちに、分かるようになるよ」
にっこりと笑って、エヴァンは歩き出す。カレンは釈然としないままその後について行った。
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