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「お母さんは、介護職よ。爺婆の排泄物を処理して、安い給料。だから、しーちゃんの将来の夢を、お母さんは全否定したの。メーカー職に就けと口うるさく言われていたみたい。でもそれは、しーちゃんの思いではなかった。そのせいで、だいぶ疲れていたよ。本当のしーちゃんはね、私しか知らない。いい子なんてね、どこにもいないのよ」
愛菜から聞かされた生前の紫音の様子に、弥佐暮はどこか親近感を抱いていた。
「あなたは、紫音さんの理解者だったのね」
「ええ、お母さんよりも、ずっとね。探偵さん、しーちゃんのお母さんの様子は、どうでしたか」
急に自分に質問が投げかけられて、弥佐暮は戸惑った。里佳子の様子――何者かからの脅迫状に怯えているということを言ってもいいのか、戸惑っているうちに愛菜は、「聞いてみただけです」と話を切り上げ、面談室を去ろうとする。弥佐暮は慌てて彼女を呼び止めた。
「どうしたんですか、探偵さん」
弥佐暮は、ひっそりと上がる口角を見逃さなかった。
「紫音さんの母親のもとに、脅迫状のようなものが届いていました。それも、尋常ではない枚数が。母親もまだ悲しみに沈んでいるというのに、許せない話ですよね」
語気を強めたが、愛菜は不気味な笑みをよりいっそう強める。
「そうですかね。悲しいだけじゃだめですよ。いい子なんてどこにもいない。それをあの母親は、理解する必要がある。私は、そう思います」
「厳しいのね。呼び止めたのは別に、そういうことを聞きたかっただけじゃなくてね。これからも何度か協力をお願いするから、連絡先を教えてくれる?」
愛菜はこれを快諾した。弥佐暮は、手帳の白紙のページを愛菜に向かって差し出した。そして、愛菜が連絡先を書いている間、さりげなく手帳を小刻みに揺り動かした。
「ありがとう」
愛菜が面談室を去ったところで、不安定な筆跡になった愛菜の字を見て、弥佐暮は悪童のような笑みを浮かべた。
「――だと思った」
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