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なんともたくましい女性ではないか。店の気安い雰囲気といい、慣れれば居心地の良い場所かもしれない。
僕とギーは通りに面した日当たりのある、窓際の席に落ち着いた。クッションもない木の椅子はびっくりするくらい硬くて座りにくい。これは、落ち着かない。兄上は大丈夫だったのだろうか。
「…ギー、振られたんだぁ」
「まだ振られてない」
「まだ」
「うるさい」
乱暴にコップを掴んで水を呷るギーの喉仏にはっとする。
いつの間にか首にまで男らしさが滲みでているではないか。そういえばこの男は腹も六つに割れているのだ。
「まだ」
動揺をなんとか飲み込んで、僕は自分の首元をさすった。とてもなだらかだ。いっそすべすべしている。いつか、僕もギーのように男らしくなれる日が来るのだろうか。今のところ、僕は腹さえ割れる気配がない。
「時間の問題ってことだね」
「表情どころか声に出てるな、本音が。少しは隠せ」
ギーはさっと手を伸ばして僕の頬をつねり上げた。
「いたたたたたたっ」
頬がちぎれる。柔らかいから引っ張られた分だけよく伸びるこのほっぺたが憎らしい。目に涙が浮かんできた。
「まったく」
ギーはいいだけ頬をつまみ上げたあと、ようやく解放してくれた。
ああ、痛い。
曇った窓ガラスを覗き込むと左側面の頬が赤くなった顔が映った。案の定母親に似た大きな青い目からは今にも涙がこぼれそうだ。
「ひどいなぁ」
「大げさ」
「ギーが馬鹿力なんだよ」
否定はしない、とギーは云ってテーブルにだらしなく両腕をのせた。
「ねえ、ギー」
「ん?」
「さっき云ってた、自然派って?」
クマさんの方を気にして、声を潜めて尋ねた。
「異国の異教徒だよ」
「随分地味だね」
見たところ、王都の民よりずっと質素なご衣装を身に着けておられる。
「ピアスも粧もしてないなんて」
双子の女神を崇め奉る我が国とは、大分趣きが異なるようだ。
なにしろこどもが生まれたら、すぐさま耳に輝石の涙と云う石で作った、魔除けのピアスをあける国だ。
僕だって、耳には瞳の色と同じ青い輝石の涙のピアスをいれているし、朝の湯浴みを済ませたらすぐさまばあやに、青と紫色の輝石の涙を細かく砕いて作った髪粉を叩き込まれる。
男らしいギーは、黒いピアスをつけている。
神官なんて頭のてっぺんから足の先まで輝石の涙でぎらんぎらんだ。
「自然派だからじゃないか?」
「どう云うこと?」
「地味だろ?自然体でいよう、みたいなことなんじゃないか?」
「適当に云ってるでしょ」
「知らないからな」
「そう云うところだよ」
貴族らしくないったら。
ギーらしいけど。
ギーは、ん?とか云って首を傾げている。
「まあ、我が国には、最近入って来たばかりらしいからな」
「そうなの?前にも自然派の神官に会ったことがあるようなこと云ってたのに」
「ああ、三ヶ月くらい前に、ユーリとな」
「兄上と?」
ギーはしまった、と云うように眉を寄せた。
「兄上もご存知なの?」
「まあ、な」
歯切れが悪い。
「ふうん」
面白く、ない。
兄上は僕にはなんにも教えてくれないんだから。
ギーは頭をがしがし掻きながら
「まあ、なんだ。色々あるんだよ」
と云った。誤魔化したな。
「雑だよ、ギー」
「うるせえ」
ギーは笑った。
「で?」
「で?ってなに」
「云いたいことがあるんだろ」
「…ああ、午前中のね」
「残党狩りか」
「はっきり云うね!?」
僕は思わず店の中を見回した。
「大丈夫だよ。あっちで豆食ってるジイさんはここの常連だけど、耳が遠いんだ。真横で怒鳴っても会計の金額が聞こえないくらい」
「それはとぼけてるだけなんじゃないの?」
よくいるではないか。つごうの悪いときだけ耳が聞こえなくなるお年寄り。
「エヴァと店長は客の話には聞かざるで通してくれる亅
「そうなんだ」
カウンターの中に目をやると、エヴァ嬢がさっきまでいなかったエプロン姿の男(恐らく店長なのだろうけれど)の尻を蹴っ飛ばしながら早く飯を作れと急かしていた。生きの良い女性だ。
「内緒話にはうってつけなんだよ、ここは。店の名前が怪しいから元々客も来ないし」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
馬蹄のワカメ亭じゃあ入りづらいだろう。 つくづくおかしな名前だ。
「あの神官がいるのは予定外だったけど」
「ああ…」
あの異国のクマさん。
カウンターの方に目を向けると、丁度クマさんがエヴァ嬢に向かって空のグラスを掲げて見せているところだった。
「エヴァさんもう一杯ぃ」
「クマさん呑み過ぎだよ」
といいながらエヴァはどぼどぼとグラスに酒を注いでやっている。
異教の神官は昼酒を許されているらしい。なんとも良いご身分だ。
「僕、なんにもできなかった」
羨ましいな、なんて思いながら、僕は小さな声で呟いた。
「初めてなんだから当たり前だよ。俺とユーリもそうだった」
「嘘だよ」
兄上とギーが僕と同じな訳ないじゃない。
今朝だって、僕の目の前で亜種をばっさり斬り捨てたんだから。
「本当だって」
ギーは笑っている。
からかわれてるみたい。
僕はじとっとギーを見上げた。
「ただぼうっと突っ立って、他の奴らが亜種を捕まえるところを見てるだけだったよ」
「信じられない…」
だって兄上は誰より優秀で、強いんだもの。
「本当だって。初めて亜種を斬ったときは、あいつもそれなりに落ち込んでたし」
「落ち込む…?」
そんな様子、わからなかった。
兄上が王宮騎士団に奉職してから二年、兄上は誰からも褒められていたし、兄上さえいれば安心だって、みんなが云っていたもの。
「弟の前では見栄張りたかっただけだろ」
「ぜんっぜん想像できない」
「いいんだよ。できなくて。わからないことはわからないと思っておけば、それでいいよ」
「いつかわかるようになる?」
「すぐだよ。これからのこと考えたら、考えたり悩んだりする前に慣れてるよ」
「慣れるかなあ…」
自信ない。
ほうっ溜息を吐くと、なぜだがギーは眉を寄せた。
訝しげな表情だ。
何故そんな顔をする。
「もう戦争が終わって十年経つのに、どうして僕たちまだ戦ってるの」
「はっきり云えよ」
「なにを?」
「嫌なんだろ?残党狩り」
「…はっきり云ったね?」
「俺が云わなきゃお前、いつまで経ってもはらの中に本音溜め込んだままにしてるだろ」
「む…」
違うって云えない。
「だって」
「だって?」
「だってこんなの戦争が私刑になっただけじゃない」
「まあそうだけど。意外と過激だな、お前」
「口だけね、口だけ」
「自分で云うのか」
ギーは笑った。
僕もちょっとだけ笑った。
十年前まで、我が国アルカディアは戦争をしていた。
亜種と人との百年戦争だ。
彼らは人によく似た姿をしているけれど人には非ず、けれど昔語りに出てくるような魔物の類とも違う。
お年を召した方々のなかには、彼らを杭打ちとか、焼印持ちとか呼ぶ人がいる。差別用語らしいけれど、戦後の子供には、ちょっと由来がわからない言葉だ。
彼らは大陸の南西に位置する小さな島に、小さなソサエティを作り、大国アルカディアに百年敵対したのだ。
現在行われている残党狩りは、ソサエティの亜種を対象としている。
僕は長い溜息を吐き出して、体を丸めた。
「戦後の後始末がツライ・・・」
「戦勝国の義務だな」
「戦争って勝っただけじゃ終わらないんだね」
物心つく前に終わりを迎えている筈の荒事の後始末が、十年経っても終わらないってどういうことだ。
「亜種と人の確執は長いからなぁ。それこそ、戦争が始まる前から続いてるんだ。戦って、はい勝ちました、じゃあ収まりがつかないところもあるんだろ」
「・・・わかってるけどさぁ」
正論は慰めにはならないんだよ、ギー。
僕は肩を窄めて溜息を吐いた。
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