第1話 残党狩りの朝

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 「亜種と人が相容れない存在なのは僕にもわかるよ。似てるけど、全然違うもの」  人である僕は、人を食べたいとは思わない。  「まぁな」  「今日、兄上が亜種を斬り殺したら、みんな泣いて感謝してたし」  「泣いてたか?」  「ちょっと大袈裟に云ったよ」  「だな」  でも、誰も亜種の亡骸には見向きもしなかった。  誰もが兄上を称賛して、感謝していた。  いつの間にか亜種の体が片付けられていたことなんて、誰も気づいていなかった。血のあとひとつ残さず、亜種の存在はこの世からなかったことになっていた。  それを視ていた僕の体の中が、空っぽになったようなあの気持ちは、虚しいってことなんだと思う。  虚しい。  口に出しちゃいけない言葉だから、僕は俯いた。  「…ままならないよな、いろいろと」  「うん」  怒られるかとおもった。  けど、ギーの声は思いの外穏やかだった。  かさかさに乾いたテーブルの木目を見詰めている僕にはわからないけど、ギーは今、目尻の下がった灰色の目を優しく緩ませている気がした。  「なぁ、エリ」  「うん」  「本当のところ、お前はどうしたいんだ?」  「どうって…?」  僕は顔を上げた。  僕を見るギーの目が、あんまり真剣で、言葉に詰まった。    「…難しいなあ」    やりたいことって、なんだろう。  やりたくないことなら、たくさんあるんだけど。  やりたいことって云われると、とっさになにも思いつかない。    「わからないよ。まだ、なるようになるとしか、考えられなくて」  「…そうか。悪かったな。こんなときに」  僕は首を横に振る。  ギーは真面目な顔をしている。ちょっと苦しそうなくらい。  「今云うべきじゃないくらい、俺もわかってはいたんだけど、な。どうしても、今云っときたかったんだ」  「うん…」  ギーはふっと、力の抜けた顔で笑った。    「今はこんな時代だけど、お前は、お前のやりたいようにやれよ。尻拭いくらい、いくらでもしてやる」  「…ありがとう?」  僕は首を傾げて、ちょっと笑った。    「正直なところ、俺は国も騎士団もどうでもいいんだよ。お前と、ユーリが無事ならそれでいい」  あんまり大きな声では云えないけどな。  なんてつけ加えているけれど、十分大きな声だったよ、ギー。  「まあ、あんまり好き勝手やって、うちのジジイみたいになられても困るけどな」  「おじいさまはお元気だからね」  「元気の一言じゃすまないだろ、あれは。退役したくないなんてダダこねやがって」  ギーはちっと舌打ちした。  ギーのおじいさまは我が家の騎士団の老団長だ。団長の上に老とつくのは正式な団長の役職はギーの父親に引き継いでいるからだ。要するに名誉職だ。 名誉団長。  確か二年前にぎっくり腰を患っていた筈だけど、気合で直していた。    「エリも知ってるだろうけど、うちのジジイは生涯現役がモットーの暑苦しいジジィなんだが」  「暑苦しいって。情熱的じゃない」  名誉団長の呼称すら受け入れられないと突っぱねた人だ。現役であることへのこだわりは並々ならぬものがある。  ギーはぎゅっと眉を寄せた。  「六十歳以下の迷惑も考えろって云うんだよ、あのジジイ。  毎日体力作りだとか云って朝の四時からランニングに付き合わされる方の身にもなってみろ」  「四時…」  まだまだ若い者には負けられないということか。流石である。  「雨が降ろうが雪が降ろうが毎日十キロ走るんだぞ。走ったあと、朝飯には茹で卵を六個食べるんだ。厚く切った肉と、緑とオレンジの斑模様のジュースも欠かさないし、午後は騎士団の訓練に参加して、夜は腹筋と背筋と腕立て伏せを千回ずつして戦場で使ってたバカでかい剣を振り回すんだ」  おじいさまの鍛錬をひとつ口にするごとにギーの眉間の皺が深くなっていく。  僕は斑模様のジュースに少し興味をそそられたけれど、じゃあ飲んでみるかと云われると困るので口を噤んでおいた。材料になにを使っているのか非常に気になるところだ。    ギーの苦悩は続く。  「そのすべてに孫であるお前がこれくらいできなくてどうするって引っ張られるんだぞ。暑苦しいだろ」  「ああ、それは…」  つらいだろうなあ。  特に、ジュースは。  お腹壊しちゃいそうだものねぇ。    そういえば、以前兄上に付いてギーの家に行ったら、頭のてっぺんから爪先まで銀色の鎧に身を包んで、大きな槍を持ったおじいさまを、荷車に乗せたギーが、馬車馬のごとく家の周りを全力疾走していたっけ。  僕はすぐに兄上に目隠しをされてしまったからよく見なかったけれど、あれはおじいさまに遊んでいただいていた訳じゃあなかったんだなあ。  なんというスパルタ精神。  流石は老いたりといえどエーメ公爵家騎士団長を名乗るだけのことはある。  油断も慢心もないということか。  僕にはとてもついていけそうにない。  「ご愁傷様」  僕はぺこりと頭を下げた。  凄いと感じたものには素直に敬意を表しよう。   僕はテーブルの下でこっそり自分の薄っぺらいはらを撫でた。むやみに人を羨むものじゃあない。    
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