第1話 残党狩りの朝

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 「おら、帰るぞ」  「うん」  僕もギーも、午後は非番だ。  元々見習い騎士にそれらしい仕事なんてないし、ギーは僕のお守りを兄上から仰せつかっているだけだから、僕に用がなくなればこんなところに長居は無用なのだ。  僕はちょいちょい向けられる先輩騎士の白けた視線に気付かないふりをして、前を向いた。  「あいたっ」  なぜかギーにおでこを弾かれた。  「なにするの、ギー」  痛いじゃないか。  僕は両手で弾かれたおでこを押さえてギーを睨みあげた。ビシッて、結構いい音がしたよ、今。  「涙目で睨んでも怖くないぞ」  「うるさいよっ」  ふん、なんて鼻で嘲笑うギーの憎たらしいこと。  僕ははぶうっと頬を膨らませてさっさと歩き出した。後ろをついて来るギーが、肩を震わせて笑いを堪えていることには気づいているけど、知るもんか。ぷりぷり怒って足を足を速くした。  「なあ、歩いて帰るぞ」  「なに突然」  騎士団の詰め所から出てすぐにギーが云う。  置き去りにするくらいの気持ちで歩いていたのになんでもう真後ろにいるんだ。なんでもないみたいな余裕の表情が腹立つな。これがコンパスの差というやつか。僕は心の中で臍を噛んだ。  「今日は天気がいいから、散歩だ、散歩」  「いいけど、唐突だね」   公爵邸まではそこそこ距離があるし、普段から移動は馬車か馬だから、驚いた。  「いいんだよ、その方が。ほら」  何がいいんだろう。  とは口には出さず、僕は厩に向かいかけていたからだを押し留めた。  今日はふたりとも馬できている。  ギーはその辺を歩いていた男の人におおい、と声を掛けて  「うちの馬頼むわ」  とさっさと馬の世話を言いつけてしまった。  突然話しかけられた男は自分の顔を指差してびっくりしている。見たところ城の下男なのだろうけど、厩に行くことなんて滅多にないのだろうな。  ギーは何やら下男に説明している。  「困りますって」  「いいからいいから」  何頼んでるの?  言伝だけじゃないの?  あんまり他所の人困らせたらいけませんよぅ。  そよりと冷たい風が頬を撫でた。  泉の上を渡ってきた風だ。  僕は詰め所の建物から離れて、玄関の正面にどおんと広がっている泉に近寄った。白い柵にぐるりと囲まれたこの泉は、王城と同じくらい大きい。この国の、王宮の中心だ。  僕は柵からちょっと身を乗り出して、泉の青い水面を覗き込んだ。  泉の周りには、騎士団の詰め所を含めて六つの建物が等しく間隔を空けて建っている。  けれど美しい青い水面には、いつだってゆらりとも揺らがず白銀に輝く王城だけが映っている。  それはいつ見てもそうなのだ。  日の高さをかえても、月が夜空を渡っても、泉はその水面に王城以外のなにものも映すことはない。  いまだって、泉を覗き込んでいる僕の顔は映らない。  不思議な泉なのだ。  その不思議さ故か、ただ単に我が国の建国期からそこにあるせいか、この泉は何者も侵すことの許されない神聖なものだとされている。  名を独裁者の泉と云う。  他にいい名前なんていくらでもありそうなのに、独裁者。なぜ。  我が国のご先祖様は名付けの才能には恵まれなかったらしい。  「おう、エリ。待たせたな」  ギーの声が後ろから聞こえたから、振り返ろうとしたら、バンっと背中をたたかれた。中途半端な姿勢だったから、僕はよろめいた。泉の方に。  「ひぃっ!落ちる!落ちっ…!」   ひっくり返りそうになって、僕は両手をばたばた動かした。  この柵低いんだよ!子供の背丈程だってないんだから!  「おら、落ち着けって」  「ぐぅっ」  急に首が締まったから、変な声がでちゃった。  ギーが僕の上着の襟を掴んで引っ張ったんだ。僕がちゃんと立つと、ギーは襟から手を離して  「大丈夫かぁ?お前もうちょっと意思を持って立てよ。危ないだろ」  なんて云う。  危ないけど、ぼうっと立っていたのは僕だけど、ギーのおかげで僕は泉に落ちずに済んだ訳だけど、そうじゃない。  まだ心臓が、心臓がばくばくいってる。  僕はぎっとギーを睨んだ。  「ギー!ここ!立入禁止だから!はいったら極刑だよ!?王族でも免れられないんだからね!?落ちたらどうするのありがとう!」  「そんなに怖かったのか」  ギーはよしよしと、小さい子供を安心させるみたいに僕の頭をぽんぽんと撫でた。  ちがうっ。  「こわくない!」  「涙目でなにいってんだ」  「誰のせい!?」  「ちゃんと掴んでやっただろ」  「そうだけど!僕の寿命が縮まったよ!」  「そうか。そりゃあ大変だ。よし、美味いモン食って、縮んだ分延ばすぞ」  ギーは重々しく頷いて、僕の頭を大きな掌で軽く掴むと、ちょいと左右に揺すってからはなした。  「…なにそれぇ」  だったら始めから縮めないでよ。  僕はうっかり笑ってしまった。  もう、怒ってた気持ちがぷしゅ、と抜けてしぼんでじゃったじゃない。  体がちょっと軽くなったみたいだ。  声をたてて笑ったら、ギーも元々垂れてる目元を緩ませて微笑んだ。  男前だな、ギー。  云ってやらないけど。        
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