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☆☆☆
十七歳、春、夕暮れどき。
校庭の片隅にある、こじんまりとした桜の林に先輩がいた。
バスケ部の主将で、背がひょろりと高く、誰といても喋らない先輩。
同級生といても、
チームメイトといても、
体育館でも、
学生食堂の真ん中にいても、
時々読んでいるリルケの詩集から目を離し、語り掛けてきた誰かの言葉に黙って頷くだけの先輩。
彼は桜を見上げていた。
その真剣な眼差しは、写真を撮るときの父に似ていて、私は過去に想いを馳せるように近づいた。
校庭の片隅にある桜の林は夕陽を受け、教会の床を彩るステンドグラスみたいな模様を地面に投げ掛けていた。少しだけ寂しい場所だった。
私は先輩の傍らに立って、同じように桜を見上げる。
枝はまだ、つぼみを付け始めたばかり。
今年の開花予想は例年より遅い。
しばらく無言で、私たちは桜を見上げていた。
ふと、まるでたった今気づいたように、先輩は私を振り向き、どんな感情を抱いているのか判然としない瞳で私を見つめ、やがてこう言った。
「また、春が来るよ」
それから彼は、また桜を見上げる。
ぼんやりと、私は鞄からカメラを取り出す。
先輩、夕暮れ、桜の林、まだ何者でもないつぼみ達。
父のライカから見る景色は、
この色鮮やかな景色は、
たぶん、この瞬間だけのものだろう。
シャッターを押した瞬間、私がシャッターを押した根拠を奪い去ってしまうだろう。
けれど明日、もしくは十年後、あるいはもっと先に、私はこの瞬間を眺めて、そこに何かしらの感情を補うのだろう。
──パシャリ。
時、止まる。
この感情に、まだ名前はない。
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