第9話 安らぎの時間。

1/1
前へ
/12ページ
次へ

第9話 安らぎの時間。

帰りの車内で匠はため息混じりに呟いた。 「明日、児童福祉相談所で朱里の知能検査をしてもらわなきゃな」 「そうだね。三人で行こう」 「千景君も一緒に行ってくれるの?」 「俺は朱里のママで匠さんの嫁だよ。まさか、俺だけ仲間外れにするつもり?」 「えっ?千景君は俺の嫁なの?」 「えっ?駄目?ママは良くても嫁は駄目かぁーー。じゃあ、取り敢えずは恋人で我慢してあげるよ」 千景は匠に少しでも元気なってもらいたくて、わざと冗談めかす。 「あ、いや、そういうことではなくて」 「やだなぁ、本気にしちゃった?冗談だって。でも、朱里のママってのは本気だよ」 「ああ、そっか。うん、そうだよね。冗談だよね」 朱里と一緒に後部座席に座っていた千景は、自分が口にした言葉で匠が寂しげな表情を浮かべていることに気付かないままだった。 帰宅してから、匠さんは俺たちの前で不自然なほどに明るく振る舞っていた。不安な気持ちを朱里に気付かれたくないのだろう。 俺は匠さんと一緒に朱里と目一杯遊んだ。彼女はとても楽しそうで、俺たちも幸せな気持ちになる。遊び疲れたのか朱里は早々にベッドに入り眠ってしまった。彼女に布団をかけてリビングに戻ると、匠さんが書類に目を落としていた。 「匠さん、疲れたでしょ。明日も朝から出かけるから、今日は早めに寝た方がいいよ」 「ああ、そうだね」 匠さん、独りでいたいのかな。 「じゃあ、俺、寝ますね。おやすみなさい」 寝室に向かって歩きだすと、不意に背中から抱きしめられた。戸惑う千景を余所に匠の腕の力が強まる。 「ごめん……。少しだけこのままでいさせて」 匠さんが泣いている。不安な気持ちを必死に抑えているんだね。 千景は振り返って匠を強く抱き締め返す。 「大丈夫、大丈夫だよ。俺がいるから、貴方の傍にいるから」 「……ありがとう。千景君、今夜、一緒に寝てくれないかな?」 「勿論!じゃあ、手を繋いで一緒に寝ちゃったりします?」 「ふふっ。それはいいね」 寝室へ行き、ベッドの中で向かい合わせになり手を繋いだ。他愛もない話を交わすうちに匠さんが眠りに落ちた。彼の表情がとても安らかなものに変わっていたのは気の所為じゃない。そう思いたい。 翌朝、朝食を取り終えた三人は、朱里の知能検査を受けるため児童福祉相談所を訪れた。昨日と違い、検査が終わるまで保護者は別室で待機。  昨日よりも幾分平静さを取り戻したが、不安な気持ちは拭い切れない。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

138人が本棚に入れています
本棚に追加