建前を握り締め

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 伊織はカレンダーを眺めていた。就職活動もようやく一段落し、少しずつではあるが今までの日常が戻りつつある。伊織の目がふと引きつけられた。なんてことのない土曜日。特に予定はない。このところ就職活動を見据えバイト先のシフトも抑えめに入れて貰っており、他のバイトの都合もついたのか今週末は珍しく完全にフリーだった。そこまで考えて伊織ははっとした。今週の土曜日。その日付に何故か引っかかった理由。  ちょうど一ヶ月前、同じアパートに住む大学の後輩である近堂から告白されたのがその日だった。記念日、という言葉が頭を過ぎる。誰も見ていないというのに、伊織は無性に恥ずかしくなって一人顔を赤らめた。  近堂は気づいているだろうか。伊織には分からなかった。そもそも彼が一ヶ月記念日だなんていう他愛のない区切りを気にするようなタイプなのかどうかもよく分からない。だが、「初めて伊織さんの姿を見たのは忘れもしない、何年の何月何日、何時から始まった決勝戦で……」だとか、時に異様とも思える執着を見せることもある彼のことだ。恐ろしく正確に覚えている可能性もある。何かしたほうが良いのだろうか。たかが一ヶ月であれこれ用意するのも重たいだろうか。一瞬、妹の志織に相談してみようかとも思ったが、どうせ碌なアドバイスは期待できないだろうと諦めた。  そうして答えの出ない問いを繰り返す内、あっという間に土曜日になってしまった。結局、何一つ用意もしていなければプランもない。何なら会う約束もしていない。とりあえず、近堂が覚えているようであれば素直に何の準備もないことを謝罪し、近堂が何のアクションも起こさなければ気づかなかった振りをしてやり過ごそうというのが、苦し紛れでしかない伊織の作戦だった。 『おはようございます。伊織さん、今日予定ありますか?』  もう何度目か、スマートフォンの画面に触れたときだった。期待していなかったと言えば嘘になる。表示されたメッセージに、伊織は慌てて返事を返した。 『おはよう。予定は特にないけど』 『良かったら、ちょっと出掛けません?』  どういう訳か頑なに行き先を告げようとしない近堂は、待ち合わせ時間を指定すると、最後におまけのように付け加えた。 『出来れば、ジャージとか動きやすい服でお願いしますね』
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