建前を握り締め

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「マジか……」  降り立った駅の名を見て、薄らとした予感は確信へと変わった。近堂も、伊織が行き先を把握したことに気がついたのだろう。人の悪い笑みを浮かべこちらを覗き込んでくる。 「いいじゃないですか、ね?」  かつて通い慣れた道のりを辿る。夏の日差しに揺らめいて見えるアスファルトから立ち上る熱気は相当なものだった。暑い暑いと文句を言いながらエナメルバッグを抱えて歩いた日々が蘇る。見えてきたのは懐かしい景色だった。 「何年ぶりですか?」 「……四年?」  連れて来られたのは高校のグラウンドだった。既に練習は始まっており、サッカー部員らが基礎的なパスの練習をしているのが見える。それはかつて伊織が嫌になるほど繰り返した動作と何ら変わらない、母校の練習メニューだった。 「おはようございます!」  近堂の姿に気づいた部員たちが次々に声を張る。二年生の終盤に退部し一度も練習へ顔も出したことがない伊織とは違い、近堂は今もコーチとして後輩たちの練習に関わっている。 「俺は軽くアップして来ますけど……伊織さんはどうします?」  わざわざ動きやすい格好で、と告げた近堂は、出来ることなら一緒にプレイしたいのだろう。決して強要はしないものの、期待に満ちた表情でよく分かる。餌を待つ子犬のような顔から目を逸らし、伊織は小さく笑った。 「俺は、いいよ。来週一個だけ最終面接入ってるし。また怪我でもしたら洒落になんないからさ」 「わかりました。日陰にいてくださいね」 「はいはい」  夏の日差しはかなりのものだ。伊織はきょろきょろと辺りを見渡した。僅かに建物の影になっているスペースを見つけ、そちらへ向かう。振り向くと、数人の後輩に囲まれ楽しげに話す近堂が見えた。こうして現役の高校生に混じった様を眺めていると、彼の体躯はより一層がっしりと逞しく映った。どうやら、後輩たちにも慕われ、頼りにされているらしい。楽しげに言葉を交わし、時に軽く小突くような素振りを見せる近堂を、伊織はぼんやり見つめた。初めて目にする彼の一面だった。 「おはようございますっ!」  一際大きな声がした。見れば、部員らが一斉に同じ方向へ頭を下げている。グラウンドの入り口に、大きな二つの人影が見える。伊織は密かに息を呑んだ。卒業以来一度も会っていない、かつて散々面倒を見て貰った監督の姿がそこにあった。
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