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時間が過ぎるのはあっという間だった。いつしか練習時間は終了し、監督の元に部員らが集合しているのを遠目に眺めつつ、伊織はタオルで顔を拭いた。隣にいる癖に先ほどからやたらと無口な近堂が気になり声を掛けようとした途端、監督がこちらを向いた。
「ちょっと、お前らも来い」
伊織は泥だらけになった部員たちの視線を受け止めた。
「OBの先輩たちから話聞いたら、今日は終了だ。水飲んで早く帰れよ」
素っ気なく言い残して去って行く監督の背中が、夕日に照らされている。あの人の言葉を憎く思ったこともあれば、死ぬほど悔しい思いを噛み殺したこともある。全てが遠い過去の日々だった。
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「で、お前は何でさっきからそんなに黙ってる訳?」
練習後、久しぶりだから飲もうと土井に連れて来られた居酒屋で、当の土井がすっかり潰れてしまった。あれこれ手際よく処置を施したのも、どうにか土井をタクシーへ押し込んだのも全て近堂だったが、やはり様子がおかしい。駅へ向かう帰り道も無言。じっと覗き込んでも目が合わない。伊織は一人首を傾げしばし考え込んだ。
「えっ!?」
突然抱きつかれた近堂が素っ頓狂な声を上げた。真ん丸く見開いた目が伊織を見る。ようやく合った目線に満足した伊織は、思った以上に酔っていたのかもしれない。ぎゅう、とますます強く抱きつけば、近堂が慌てふためいて辺りを見回すのが分かった。
「ちょっと、伊織さんここ外! 道!」
「別に、酔っぱらい同士が騒いでたって誰も見やしないって」
ぐりぐりと鎖骨の辺りに顔を押しつける。熱い肌は汗ばんでいて、なのに不思議と良い匂いがした。すんすん鼻を鳴らし始めた伊織を渋々といった様子で抱き寄せた近堂は、何かを堪えるように眉間に皺を刻んだ。
「で、なんで黙ってんの?」
「あーもう! 伊織さん! 知ってます? 今日が何の日か!」
「……一ヶ月」
小さな小さな声で、伊織は言った。頭上で近堂が息を呑む。抱きしめてくる腕が心なしか温度を上げたような気がする。
「分かってるなら、あんな――いや、もう、いいです。なんか馬鹿馬鹿しくなってきた。続きは帰ってから話しましょう」
ようやく両腕から解放され、伊織はじっとその目を見上げる。困ったように笑う顔は、どうやらいつも通りの近堂に戻ったようだった。
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