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ほとんど客のいない酒場の片隅で、ヴァダーはジョッキに残っていた火酒を一気にあけてから水を――水面に映る自らの隻眼の顔を見る。
「人身売買、か……」
そういえば、とヴァダーは『相棒』については先日、件の『妖術師』ルイバローフが不穏な事を言っていたのを思い出していた。
「――『蛇女の遠縁の娘』?」
蛇女、といえばアグロスの地下に眠っていると伝えられていた伝説級の存在だ。神聖教会の聖者伝にも(悪霊に魂を売り飛ばした神として)伝承が残っている。
また、アグロスを一夜にしてすべて石に変えたのは『蛇女の咒い』と云われている――直近のことで、だ。眠っていた『咒い』が復活した、と。
ヴァダーとマースラとは、アグロスで知り合った。
当時は奴隷解放が成されてすぐのことで、人身の売買が禁止されてすぐの頃だった。とある、奴隷上がりの女の死を通じて知り合い、いつの間にか一緒に『仕事』をするようになっていた。
彼女の過去について、あるいは彼女がどこで『精霊』を操る術を身に付け、何が原因で(先日のように)王立学士院――魔術師協会から疎んじられているのか、ヴァダーは聞いた事がなかった(王立学士院と魔術師協会については以前、マースラ自身の酔った口から聞いた事があったが)。
詮索する趣味もない。
現在のマースラがかれにとって最良の――ベストではなくても、モアベターな『相棒』であること、それが重要でありどういった過去であろうと問題になるものではない。
ヴァダーにしたところで、胸を張って誇れる少年時代かというと、言い切れないのも確かだ。
自らの十年も前のことが思い起こされて、皮肉げに唇の端を歪める。
あの時『買』われたサラはどうした? 自分が助け出すよりまえに真っ白な天使となってアグロスの空に飛んだじゃないか――
「蛇女、か……」
水の入ったコップをくるくると回す。
アグロスで、ヴァダーとマースラはその『蛇女』に挑んだ。
直接的な意味ではない。
神聖教会の若き司祭に依頼された仕事を進めてゆく課程で、『蛇女のしゃれこうべ』なるものと関わったのだ。
その果てにヴァダーは、自身の片目を失い、『しゃれこうべ』に――『蛇女』に浸食されそうになったマースラの右腕を斬った。
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