第2章 皇陵の泰親王、呼び戻される

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 翌朝の朝議に泰王は喪服のまま皇族用の高い席に着いた。  徐王が驚いた顔をして見せたが、それは無視である。  第七皇弟が「……喪服かよ」と聞こえる声で言ってのけた。  泰王も「子どもがなぜここにいる」と思いはするが、口にはしない。 「兄上が誰の喪に服すか考えよ」  入ってきた皇帝が低い声で一喝した。  玉座に座るなり、皇帝は感情のない声で言った。 「一昨日の夜、廃后が亡くなった。どうすべきかと三哥にも相談しようと皇陵より呼び戻した。礼部尚書、意見を述べよ」  大夏帝国は、あくまでも漢民族の国家という建前である。朝服も、否定した宋、そして漢化した遊牧民の鮮卑族の王朝とした隋・唐のものを使うことはためらわれた。そのため、すでに太古と言える、魏晋時代、そして後漢時代のものを多く復興させた。  官吏は幘(さく)を被るが、軍に籍のある者はそれに山鳥の尾を刺した鶡冠(かっかん)を被っている。  とはいえ、それは表面上のものであり、官吏登用を科挙に頼り、六部を置くのも唐からの伝統をそのまま引き継いだ。 「先帝が廃したままのお方ゆえ、先帝の石室に入れることはまかりなりませぬ」  礼部尚書が横に出て主張した。 「どの格にするべきであろうか」  妃、嬪、美人、と格を述べる声が聞こえた。  彼らは、杭州からの知らせを聞いているのだろうか。  聞いていないとすると、廃太子の復権を望む者は何と主張するだろうか。  それとも、復権を望まぬ者こそ、怒りの矛先が向くように高い格を主張するのだろうか。  泰王は一石を投じた。 「罰を受け、奴婢として死んだ者について、このような場で話し合うべきではありますまい」  その場がどよめいた。 ー何か言え  あまりに極端すぎたであろうか。誰も何も言わなかった。 「一理ある。先帝はお許しになる前に御隠れになった。そのまま、奴婢として打ち捨てても良いように思う。だが、朕は廃后を嫡母として育った。そのような人を打ち捨てることに道理に適うことであろうかと迷いがある」  泰王は用意されていた椅子を下り、崩れ落ちるように床に頭をこすりつけた。 「皇上は英邁にして、徳が高い。その通りでございます」 「徐王はいかに」  急に皇帝に名を呼ばれて徐王はどもった。 「わ、わ、わ、私は、あの、あの、」  フンと第七皇子がバカにしたような顔をした。 「楊昌はいかに思う」  名前を呼ばれて、第七皇子は答えた。 「妃として、そして先に葬られた賢徳太子と合葬すればよろしいのではないでしょうか」  そこに、女官が入ってきた。 「報告いたします!」  皆の顔がまだ若い、若いと言うよりも子どもと言っていいような女官の顔に向いた。 「芙蓉、急ぎか」 「はい!杭州からでございます!」  「持って参れ」  これもまた茶番である。  小走りに女官は近侍の宦官に折子を差し出した。  おもむろに読み始めた皇帝は、冕冠の紅珊瑚の十二本の玉飾りの奥でも目立つ大きめの目をぎょろりとむいて、手を口に当てた。 「……四哥が自刃して果てた」  一同はどよめき、何があったかを察したのである。  パタンと音を立てて皇帝は折子をたたみ、決めた。 「四哥は廃后の養子であったな。二人を合葬しよう」 「……格はどのようになさいますか」  礼部尚書が小刻みに震えながら質問した。 「四哥は庶民に落とされて幽閉されていた。ゆえに、候で良い。杭州は、銭塘か。銭塘候。候の母が妃というのもおかしい。廃后は嬪。徐王、楊昌、三哥を助けて椅子に座らせぬか」  二人の弟たちに助け起こされ、両手を支えられたまま、泰王は言った。 「この泰王、杭州へ向かい、四弟の遺骸を持ち帰り、廃后と共に葬りましょう」  うむと皇帝は頷きつつも、泰王を真ん中に立っている三人のうち、最も若い第七皇弟にむかって言った。 「そういえば、楊昌にそろそろ加冠せねばならぬ。父帝は何も用意しなかったために、この兄が用意してやらねばならぬな。そうじゃ。銭塘侯を継がせよう。まずは先代の銭塘侯を弔うべし」 「兄上!」 「不服か」  ぎろりと皇帝は弟を睨んだ。 「我が生母は、賢妃です」  にっと皇帝は笑った。 「かつての賢妃であるな。今はただの尼僧に過ぎぬ」 「しかし、賢妃に封じられた女人です!」 「賢妃にはまだ子はおらぬな。そなた、随氏が母と主張するか?」  どっと群臣が笑った。  今上にも賢妃がいる。随氏だ。今上の子は唯一皇后の腹の中にいる子だけなのである。  楊昌は顔を耳まで真っ赤にし、泰王の腕をぎゅっと握り締めた。あまりの強さに、泰王は、そういえばこの弟の利き腕は左手だったと思うのだ。 「恐れながら、皇上、実の弟に対して冗談が過ぎまする」  泰王は言った。皇帝は頷いた。泰王は右足に力が入らない。左側は問題ないのだ。左側に立っていた徐王は、泰王の腕を離したまま、座る許しがないので立っていた。  皇帝が座るようにと合図をしたので、徐王は椅子に座った。楊昌はというと、泰王を支えているのかしがみついているのか、泰王を離さないので、泰王もそのまま立ったままである。  それを見ながら皇帝は真顔で続けた。 「朕も嬪の子として侯から郡王、親王、東宮と登っていった。嬪の子ですら侯に過ぎぬ。尼僧の子を侯にするのは、兄たる朕の温情ぞ」 ー何も返せぬようでは、この今上を倒すことは出来まい  器の小ささを群臣の前で露呈され、銭塘侯は小刻みに震えた。 ー能力もないのに、多くを望み過ぎたのだ  泰王は心中でため息をついた。 「ヤーっ!」  楊昌が叫んだ。  泰王は右足に力が入らない。足の機敏な動きはできないし、右腕は強く楊昌に掴まれていた。  皇帝とその侍衛以外は、刃物は朝堂に持ち込めぬ決まりになっている。  しかし、冠を固定する簪は、刃物ではないが先が尖っている。 「賢妃の子は、親王と決まっているではないか」  ばっさりと楊昌の髪の毛が肩に落ち、右手で掴んだ簪の先端を泰王の首に当てたのである。  泰王と徐王が親王になるときに、生母が徳妃に一度進んだのは、皇后に加えて、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の産んだ皇子は、親王に封じられる習わしだったからである。先帝の弟、青親王が親王に封じられたのも、これによる。  先帝の第七皇子の主張にも、理がないわけではなかった。 「妃の子を親王にして、賢妃の子は侯か。我慢ならぬ」  ぶるぶると震えながら、楊昌が泰王の首を簪の先端を当てたのである。 「刺すが良い」  泰王は銭塘侯に静かに言った。 「このようなことをして、ただではすむまい。服喪の勤めの、この兄を道連れにするが良い」  ガタンと音がした。おそらく恐怖のあまり、徐王が倒れたのだろう。  泰王は無表情の皇帝を見た。 「ただ一つ、妃と郡主をお頼みいたします」  皇帝は答えた。 「あい、わかった」  皇帝は、にっと笑った。
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