第1章 新帝即位し、泰郡王は双珠親王に封じられる

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 皇極殿の広場には官吏たちが並んでいた。その正面には先帝の棺が置かれていた。  棺に向かって、生成りの喪服の太子を先頭に貴妃と賢妃が続いた。  太子が即位し、生母の林貴妃が太后になるのだ。奴婢の身から皇太后まで美貌で上り詰めるお方は、歳を重ねても美しい。  太子・楊景の年は二十五。スッと背の高い男である。同じく背の高い泰王は、足が悪いせいもあってひょろりとした印象を与える。しかし楊景は姿勢も正しくすらりとした印象を与える。  泰王含めて、他の皇子たちが白い顔をしているのに対し、軍人らしく良く日焼けした顔をしていた。  高い鼻梁の下には薄い唇がある。切長の一重の目と合わさって、とても鋭い印象を与える顔である。  キツネのような顔だ、母親が女狐だからな、とかつて賢徳太子は言った。それに、いや狼だよ、と返したのがここにいない廃太子である。しかし、泰王はこの人のガッチリとした顎に目が行った。確かに、目から口の形までは林氏の面影が濃厚である。それに対して、その顎は確かに父皇にそっくりで、絵で残る父祖の顎に良く似ている。この顎を中心に見れば、狼にも見える。 —この、父祖の顎を持つ、唯一の兄弟が即位することに異議はない  泰王は生きている最年長の皇子である。同時に泰王は産まれながらの皇子である。これまで帝の崩御のときにどのようにされたかなど、知る由もない。先帝の皇弟、青親王が最年長の皇族として、仕切った。 「よく見ておけば良いものを」  新帝が即位した。しかし、その御代は永久に続くものではない。  では新帝の次の代替わりのとき、青親王の役割を果たすのは誰であろうか。年齢的に、賢妃の産んだ七弟か。あの野心的な七弟はどうなるかわからんぞ。そうなればそなたではないのか。泰王は徐王の横に太い体を苦々しく見た。  本来であれば、新帝の即位の後に先帝の葬儀が行われるはずである。  しかし、新帝と泰王の間には、先帝が倒れたころから幾度となく語り、相談してきたことがあった。  青親王が奏上した。 「陛下、今は国家の危機。陛下が服喪されて国務をおそろかになさるわけにはゆきませぬ」  大臣たちが口々に揃えた。 「ゆきませぬ」 「ではどのようにせよと」 「陛下は速やかに国務にお戻りくださいませ」 「誰が服喪の長を務めれば良いと」  ここから泰王の番である。  話を聞かされていない七弟が野心に満ちた気配を出した。 ーヒゲも生えそろわないくせに  古来より、政とはまさしく祀りごとである。祀りごとを行うものが、政を司るのである。それを放棄する者に帝位はふさわしくない。青王は、新帝に、祀りごとをおこなうな、と言ったのである。   青王が続けた。 「先帝の存命の皇子の中で存命の最年長、泰王殿下ではいかがでしょうか」 「うむ」  新帝にとっては、茶番すら時間の無駄だ。国境の前線では今も兵士たちが死んでいる。  しかし、同時に、祀りごとを行わない皇帝に皇帝の資格があるのかと問うものがでてくるのも自明であった。その意思のない者が祭祀を行わなければならない。 「泰王、引き受けてくれるか」  従来、太子は「兄上」と、誰もが軽んじる泰王にすら呼びかけた。即位すれば、関係は変わる。 「陛下のご命令とあらば」  背後に控える、話を聞かされていない者たちが息を飲んだ。全ては新帝と泰王の目論見通りである。  予定にはなかった言葉を泰王は続けた。 「そしてそのまま私は皇陵にて先帝に仕えましょう」  徐王が進み出て言った。 「私も兄上と共に皇陵に向かいます」  これが泰王の目論見である。  祭祀を行う皇子とその同母弟は、皇陵に留まり、帝位を狙うことはない。そう宣言することで、自分と徐王の身を守ろうとしたのだ。  新帝は薄い唇を少し綻ばせて言った。 「二人とも皇陵に行っては、宮中の柳太妃がお寂しいであろう。半年ごとに交代せよ」  新帝は宣言したのだ。  泰王と徐王を担いで帝位を狙わせようとしても、二人の母妃は宮中にいるのだ。互いが人質であり、その母も人質である。この二人を担ごうとしても無駄だ。 「それでは、泰王を双珠親王に、徐王を単珠親王に叙する。二人の親王の生母が先帝の妃に留まるのは整わぬな、母后」  先帝の貴妃・林太后はうなづいた。 「徳妃があいておりますので、先帝の徳妃といたしましょう」  妃嬪の中でも後ろの方にいた柳氏が押し出されるように前の方にきた。貴妃・徳妃・淑妃・賢妃が後宮の序列である。それは、それぞれが「太妃」と呼ばれるようになっても変わらない。生母の序列を変更して、第七皇弟の野心の重石にするのが新帝と泰王の目的である。  最後尾にいた平昭公主が口を開いた。 「私も皇陵の守り人に加えてくださいませ」 「ならぬ」  新帝は皇妹を一瞥して言った。 「若い娘を皇陵に置いて、なんの良いことがあろうか」 「自分の身ならば守れます」  確かに平昭公主の剣の腕前に勝る男はいまい。  軍営に長く身を置いていた新帝は、ギロリと妹を見つめた。 「体も。心も。休む間もないぞ。宮中育ちの公主のすることではない。そなたは喪が明けたらいずれかの公子に降嫁させる。それまで後宮に止まれ」 「兄上!」 「聞かぬというなら、閉じ込める」 「兄上!」  李賢妃が思わず飛び出した。 「陛下!」  賢妃には一瞥もせずに、皇帝は宣言した。「平昭公主を拘束せよ」  東宮の女官たちが公主の腕を抑えた。 「大人しくなるまで太后の宮に置く」 「かしこまりました」  皇太后が公主を拘束した女官たちを連れて立ち去った。  ああ、これも茶番か。  宮中随一の剣の使い手の公主である。その気になれば女官たちの腕の骨を折って逃げることは容易だろう。  新帝が公主に何を言い含めたかは知らない。 「七弟がかわいければ、あの野心を封じ込めよ」  そんなことを言ったのだろうか。いや、こっちだろう。 「七弟が何かをすれば、賢妃が知っていようがいまいが類が及ぶことは免れない。七弟と李賢妃はそなたの降嫁をその勢力の一つにしている。離れよ」  素直に従ってみせたのは解せないが、公主も腹に一物あるかもしれない。  泰王は新帝を見た。  かつて、信用できたのは東宮ただお一人だった。  では、今は? —我に野心がないことはご存知だ。しかし、  問題は、近寄ってくる者たちの方だ。  徐王まで庇護できるとは思えない。理解できないなら、淘汰されるのみ。  最後に新帝は宣言した。 「皇太后と柳太徳妃を除く妃嬪は、全て尼寺へ行くように。長公主以外、皇子は全て宮を使うことを禁じる」  これは、代替わりによる、後宮の入れ替えの常である。     
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