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第2章 皇陵の泰親王、呼び戻される
泰王が皇陵へ赴き、五ヶ月が経つ。
新年もこの皇陵で過ごした。
春になろうというのに、まだ寒々しい。
都の喧騒もない。
ー妃がいないのがつまらぬ
泰王は静かなのは良いが、つまらぬと思うのである。
翁主、ではなかった、郡主のケタケタと笑う声が聞こえぬのもつまらない。
ふと思うのである。
ー所詮、都しか知らなんだ
若い頃、どれだけの熱意を持って、長江を超え、統一を成し遂げようと誓ったか。
足を見てつぶやいた。
「兄上がおられぬゆえに」
本来即位すべきであった、亡き太子が亡くならなければ。
あの喪失感と、廃后の怒りの激しさに、泰王の熱意は消えた。
ーそれだけのことでしかなかったな
そう思うのだが、仕えるべき相手がいないのだから、仕方がないではないかと言い訳をした。
暇のあまり、泰王は都から持ち込んだ書物を紐解いて読んで過ごしていた。
そこへ密令が来た。
「泰王・楊昭、速やかに帰京せよ」
この首が刎ねられるか、理由は何かと思いながら、泰王は楊昭は差し向けられた車に乗って、一路都へ向かった。
質素な車の、簾から通りを見る。
人が行き交う大通りである。
あれほど嫌だと思った喧騒も、皇陵の寂しさを知れば、むしろ心地よく思われる。
ふと、物売りが秤を使っているのが見えた。
ーああ。太祖が「夏」と名づけたこの国を、父帝は「呉」にしてしまいたかったのか
宋は金に負けてこの江南に走り、西湖のほとりの杭州に「臨安」という臨時の名前を与えて都にした。その腐敗に呆れた華南の群雄が立ち上がった。この建康の地に地盤があった太祖は、始め「呉侯」に、次いで「呉王」に封じられていたが、宋から玉璽を簒奪した折に、この国名を「夏」とした。
簒奪は宋が金と結んだ朝貢関係を否定するための方便であった。禅譲を受けるわけにも行かず、宋なる国はすでに金により滅び、今、宋を名乗る臨安にある国家は、宋を名乗る偽物であるという理論を用いた。
それに呼応した者が、宋の最後の皇帝の首をくくり、臨安の皇宮の門に吊るして太祖を迎えた。
それでも、簒奪は簒奪である。これを正義とするには、臨安政府の腐敗を指摘するだけでは足らない。
実際に、太祖の即位と同時に、各地の諸侯が我もと即位した。それは目に見えていた中で、「呉」の国名を選ぶことは、決してできないことであった。
太祖は商家の出である。さらにその祖先は江賊であった。秦、漢、晋、隋、唐、宋の、いずれの統一王朝とも関わらない。
商人が選んだ、この「夏」という国名は、禹の治めた伝説の王朝に由来する。すなわち、あくまで、本朝は異民族に奪われた華北の国土を奪還し、再統一を成し遂げることを国是としたのである。
太祖以来、歴代の大夏皇帝は、あるときは力でねじ伏せ、あるときは説得して回った。
確かに、再統一までの戦闘を国是としたが、戦争には飽きが来る。そして、疲弊する。
父帝は血が流れることを嫌い、北方の金をはじめとした国々との、力の均衡を図った。
それは「呉」と呼ばれた地域に留まるという宣言であった。
その均衡は、その時々の君主個人や、その年の天候に左右される、儚いものでしかなかったのは、父帝本人の治世を見ればわかる。
「天下三分の計など、今の世には不可能である」
ふと呟いた。
亡き東宮が合歓花木の上で言った言葉と同じである。
ー兄上のおっしゃった通りであった
王府に戻るかと思いきや、そのまま皇宮に連れられた。
生成りの喪服のまま、泰王は皇上の御前に出たのである。
御前、とはいえ、側には誰もいない二人きりのものであった。
場所は、御花園である。
「泰親王・楊昭、参上いたしました」
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