1年前

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 それは、千咲さんにとっくに伝えてある事柄だが、母にしてみれば、何度だって念を押したいのだろう。母は千咲さんに絶対的な信頼を置いていたし、もし彼女に家を出て行かれてしまったら、放蕩兄貴の面倒を見てくれる女性なんて二度と現れないかもしれない。 「はい。分かってます」  千咲さんはいつだって穏やかな笑顔で応える。 「薬の飲み合わせの関係で、思いっきりお酒が飲めないのは可哀想だけどね」 「隆君、お酒好きですもんね。病気が分かる前は1人でよく飲みに行ってたとかって」 「嗜む程度ならそこまで心配はないんだけど。でも、隆はほら、あの通りいい加減だから。欲求とかさ、その場の雰囲気とかに流されて、がぶがぶ飲んじゃいそうじゃない」  我が息子ながら呆れたのだろう、母は頭を抱えるような仕草をする。 「安心してください。隆君が飲み過ぎないように、私がいつだってそばで目を光らせていますので」  千咲さんが目をぎょろりと見開いて監視する素振りをしてみせると、母は大口を開けて笑った。  そんな他愛もない会話をして笑い合う2人を、僕はぼんやりと眺めていた。すると、千咲さんのアーモンド型の瞳が急にこちらを向く。 「隆君はいい加減。宗君は几帳面」  まるで標語でも口にするみたいに節を付けてそう言い、柔らかく微笑む。それに合わせて、桜色をした唇が上品なカーブを描いた。  不意を突かれて心臓に鈍い衝撃を感じる。咄嗟に視線を逸らした。普段通りでいようとすればするほど、逆にぎこちなくなってしまう。 「……そうでもないよ。まぁ、兄貴みたいにしょっちゅう物を無くすことはないけど」  言葉に詰まったり声が震えたりしなかったことに安堵した。
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