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母が意地の悪いにやけ顔を浮かべる。
「宗はこう見えてだらしないわよ。だから、物を無くさないのは、几帳面って言うか、執着心が強いからだと思うのよね」
「え、そうなんですか?」
「千咲さんは少ししか一緒に暮らしてなかったから、知らないだろうけど。宗のアパートなんて酷いんだから。洗濯物なんて溜め込みっぱなしで、そこから臭いとか虫が」
「母さん」
「隆はまだ諦めないつもりかしらねぇ」
母は素知らぬ顔でまた階段の上へと視線を移した。
「宗君って、執着心が強いんだ」
「え、そっち?」
いたずらっぽく微笑む千咲さんは、いつもとまるで変わらない。玄関先で迎えてくれた時も、何事もなかったかのように普通だった。拍子抜けしたし、腹立たしさも覚え、それから、少しがっかりもした。
もしかしたら、と思う。千咲さんは、あの夜のことを無かったことにしたいのだろうか。それとも、1年前のあの出来事は、僕が見た夢か幻だったのだろうか。どちらが良いだろう、と考える。無かったことにしたくはないが、罪の大きさに耐え続けられる自信も無かった。答えは出ないまま、僕もまた2階を見上げる。兄はまだ来ない。
「じゃあ、私と一緒ね」
それは、ともすれば風の音かと思うくらいの囁き声で、最初は空耳かと思った。頭一個分は背の低い千咲さんを見下ろす。目は合わなかったものの、うっすらと口角を上げた横顔が妖艶さを孕んでいて、一瞬、呼吸が止まった。その顔を知っていた。
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