七月十九日

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🎐 「(そう)、お兄ちゃんがいなくなっちゃったんだよ」  電話口の母の声は、切羽詰まっていた。毎度のことだ。 「放っておけばいいよ。いつものことじゃないか」  僕がそう答えることも、もはや恒例と言ってよかった。 「どうせ二、三日もすれば、ひょっこり戻ってくるに決まっている」  うんざりしながら対応する僕の胸の中に、兄への怒りと、呆れと、疲れと、少しの郷愁、それから、千咲(ちさき)さんへの心配がいっぺんに溢れた。  千咲さんはどうしている? そう尋ねるより、母の懇願のほうが早かった。 「ねぇ、帰ってきてよ。宗」  震えたため息が漏れる。 「今すぐは無理だって。前期試験の真っ最中なんだ。終われば夏休みだから、それから帰る。去年も、そうしただろ?」  スマホをスピーカーにして話しながら、額に垂れてきた汗を手の甲で拭う。シャープペンを握った手を浮かせれば、ノートの端が汗でふやけていた。安アパートとは言っても、エアコンが備え付けられていないわけではない。この暑さが異常なのだ。  進学と同時に引っ越すまで、僕は北国で暮らした経験がなかったが、冬の寒さの過酷さは知っていた。その分と言っては何だけれど、夏は比較的過ごしやすいのが、この地域の特徴だと思っていたのに、裏切られた気分だ。温暖化の影響なのか、今年に至っては、最高気温が南の地域より高い有り様だ。  窓の外には、今日もきっぱりと青空が広がっている。馬鹿でかい入道雲。午後には突発的な雷雨が降るかもしれないと、朝の天気予報で言っていた。  正直なことを言うと、今すぐにでも新幹線に飛び乗って、実家に帰りたい。兄がどこでどうしていようと、さらにはどうなろうと知ったことではないが、千咲さんが心配だ。  日曜日の昼前。自分から立ちのぼる汗のにおいに、千咲さんの体臭を思う。甘く、酸っぱくて、苦い。
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