絵が語りかける

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 ひとつの絵をじっと見ているのは危険だ。  農夫が掘る土の匂いを感じ、カフェで踊る娼婦の笑い声が聞こえてくる。向日葵は過剰な色彩を放ちながら耳を切れとあなたに命じる。そして、いつの間にか絵が描く物語の中に吸い込まれてしまうのだ。  一枚の絵を見るために、何日も美術館に通い続ける人がいるという話はよく聞くが、ぼくは一人の女の人を見るために何日も美術館を訪れることになった。  その人はいつも美術館の奥まった場所に飾られ、あまり注目する人もいない絵を一心に見ている。  年齢は三十才少し手前ぐらいに見えるが、もしかしたらもっと大分若いか、あるいはその逆かもしれない。   女が見ている絵には、白い日傘をさした着物姿の女性が湖畔に立っている姿が描かれている。こちらを振り返るように首をやや後ろに曲げているが、日傘に隠れ、顔ははっきり見えない。  そんな絵を、思いつめたような、あるいは、何かを憐れむような表情で見続けている女。  何か不安と欲望が入り交じったような、名付けようのない感情に導かれ、ぼくは女を見続け、そして、話しかけずにはいられなくなったのだ。 「この絵が気にいられたのですね」
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