第2話 父の盃に浮かぶもの

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 流刑の地、伊豆国で、若は安定した青年期を過ごすものの、治承4(1180)年、若の運命は動き出す。  後白河法皇の皇子である以仁王(もちひとおう)が、諸国の源氏に平氏追討の令旨を発したのだ。  この時、若の叔父上、源行家(ゆきいえ)より、令旨が届けられたようだが、若はしばらくはこの事態の行く末を見極めようと静観していた。  だが、この令旨を受け、平氏が諸国の源氏追討を企ていることが、若の耳にも入る。  己自身の身の危険を感じた若は、諸国の源氏同様、己の身を守るため平氏討伐の挙兵を決意。  この頃、すでに若の側近として傍に居た安達盛長を使者とし、父、義朝の時代から縁のある坂東の豪族達にも、協力を呼びかける。  その後、伊豆を制圧した若は相模国土肥郷へ向かい、途中、三浦軍と合流をする計画であったが、三浦軍が大雨による河川の増水により渡河ができず、三浦軍の合流が無いまま、治承4(1180)年8月、若は、平家に加担した大庭景観らが率いる三千余騎の平氏軍と、相模国足柄郡の石橋山で相対することとなる。  この時の、若の軍勢は三百騎と少なく、三千余騎の軍を相手に、若の軍は敗北。生き残った僅かな従者、土肥(どい)実平(さねひら)らを連れ、山中を逃げ延び、真鶴から相模湾を小船で渡りきり、安房国へと逃れた。     
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