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夜の空に、広がる枝葉が伸びている。
深緑の木々が、ゆったりと風にそよいで揺れていた。
「待てー―――っ!!」
そんな深い森の中、木々の間を縫うようにして、少女が全速力で走っていく。
肩よりも長めの金髪は揺れ、青い瞳は、まっすぐに宙を見据えている。
男の服に身を包み、腰に剣を差した少女は、一見すると少年のようにも見える。
事実、彼女は訳あって男のふりをしていた。
いつもは髪を結んでいるのだが、今は大事な髪紐を盗まれ、背中まで下ろしていた。
肩から下げた革の鞄には、大切な魔法の瓶が入っている。それをとある地まで運ぶ途中だったのだが、森を抜ける途中、余計な邪魔が入ってしまったのだった。
あははははは、と甲高い笑い声が響き渡った。
青と黒の混じった夜の森を、美しい光が飛んでいく。旅人を惑わす精霊だ。名前をウィル・オー・ウィスプと言ったが、少女がそんなことを知る由もない。
精霊の手には、古びた髪紐が揺れている。
「返せって言ってるだろ!! 止まれ!!」
なりふり構わず、少女は怒鳴りつける。
不覚だった。ちょっと外した隙に、森のいたずらっ子に盗まれてしまったのだ。
精霊なんて、普通に過ごしていれば出逢わない生き物だ。
あのまま逃げられれば最後、どうやったって、髪紐は取り戻せないだろう。
――――どうにかして、取り返さなきゃ。
あの髪紐は、大切な騎士がくれたのだ。
少女が男になる覚悟をした時、結んで貰った紐。
あれで毎朝髪を結わえるたび、自分は覚悟を思い出せるのだ。
「おいおい、そんなに走ると転ぶぞ」
不意に声が聞こえる。ハッと立ち止まれば、頭上の太い木の枝から、青年がこちらを見下ろしていた。
「追いかけっこなら諦めろ。人間の脚じゃ、あいつには勝てないぜ」
巻き毛がかったこげ茶の髪に、深緑の瞳。夜に紛れるような、漆黒のマントを羽織っている。
少女は目を鋭くさせた。
無視して走り出そうとすれば、彼は声を掛けてくる。
「へえ、今日は髪を下ろして……いや、紐を盗まれたわけか。――手伝ってやろうか?」
察しの良い彼に、少女は冷たい視線を向けた。
「お前だって泥棒みたいなものだろ。助けなんかいらない」
そう返すと、彼はわずかに眉根を寄せた。
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