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「酷い言い草だな。まああんたがそう言うなら、俺は別にいいけど。――でもあいつ、飽きたらあの紐、どっかに捨てちゃうぞ」
「うるさいっ」
少女は吐き捨てると、そのまま走り続ける。
彼はふっと姿を消すと、また近くの別の木に現れた。
「なあ、俺に任せろって。取り返してやるよ」
「何か企んでるだろ。僕は忙しいんだ、あっちへ行け!」
「酷いなぁ。せっかく人が親切にしてやってるのに」
何が親切だ、と少女は思う。
この男はいつも、こちらの持つ魔法の瓶を狙っているのだ。
こちらを手伝ってくれたとして、彼は瓶を要求するに決まっている。
誰が頼むものか。
青年を無視したまま、喘ぐ息で、必死に走り続ける。
ひたすら進むうち、だんだん視界が揺らいできた。
脚はもうふらふらだ。光はずっと先だ。
いつの間にか消えていた青年が、また別の木にふっと現れる。
「おいおい、ほんとに大丈夫か? 少し休めって」
「馬鹿言え……っ、休んだら……」
「あーもう。強情な奴だなあ。あの古い紐、そんなに大切な物なのか?」
ひらり、と青年は木から降り立った。
少女はむっとしてそれを睨む。
「別のを使えば……と言いたいところだけど、どうやらそうもいかないみたいだな」
彼は意味ありげに笑い返した。
「そこで休みながら見ているといい。あんたが大切にしているから、あの紐は盗まれたんだ。精霊ってのは、追いかけるから逃げるんだぜ」
言いながら、光の方へと向かった。
少女は止めようとしたが、もう息も絶え絶えだ。
肩を大きく揺らしながら、傍の木に手をついて、睨むように青年を眺めた。
青年はゆっくりと、木々の間を歩いて行く。
重なる葉の合間から、月光が差し込んでいた。
その薄い唇が、静かに開かれる。
「ウィリアム」
青年は手を伸ばした。
「おいで、おいで――こっちだよ」
少女は目を見開いた。
目の前の青年は、いつもとは別人に見えた。
口が悪くて、皮肉げな笑みを浮かべる男は、どこにもいない。
精霊に呼びかける彼は、ひどくやさしい声をしている。
――――そう言えば、彼、人間じゃなかったんだっけ。
以前、彼が自分でそう言ったのだ。素性は教えてくれなかったけれど、精霊の言葉が分かるなんて、やっぱり人間とは違うのだ。
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